November 29, 2004

11月28日 築城基地航空祭

 11月28日、数年ぶりに築城基地航空祭に行った。このブログのテーマとはちょっとずれるが、その模様を書いてみたいと思う。

 この日は朝から行くつもりだったが、どうも疲れが抜けきれていないようで、結局12時すぎに現地に着いた。

 この日のために各地から様々な自衛隊機および米軍機が来ていたが、今年は航空自衛隊創立50周年記念とのことで、記念塗装機が数多くあった。

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 上はRF-4Eでファントムの偵察型の機体。機首には機銃の代わりに偵察用カメラを搭載。


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 上はF-15DJで、イーグルの複座型の機体。築城基地第304飛行隊所属。


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 上はF-1で、築城基地第6飛行隊所属。これは徐々にF-2へと換装が進んでいるため、数年後には見られなくなってしまう。

 このほか地上展示されていた機体では、第6飛行隊のF-2があった。

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 見てのとおり、F-16と見た目はほとんど変わらない。ちなみに米軍のF-16も来ていた。

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 航空祭の見所は、やはりフライトショーだが、そのほとんどが午前中に行われたため、見ることができなかった。しかし、目玉であるブルーインパルスのアクロバットは、午後1時過ぎからあったので何とか見ることができた。

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 私のデジカメでは速い動きに全くついて行けないため、上の写真のようにピンぼけ写真ばかりになってしまった。
その中で少しはましなものを載せてみよう。

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 上は下向空中開花でブレークにはいる直前ではないか思う。


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 上は上向空中開花で、この後ブルーインパルスだけのオリジナル演目の星形交差(と私は呼んでいる)があるのだが、フレームに収まりきれなかった。


 この日は天気も上々で、航空祭を見るにはベストの日だった。来年もまた行きたいが、その時には望遠レンズを付けた一眼をもって朝から行くことにしよう。

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May 22, 2005

5月21日 門司港港祭り

 5月21日、門司港港祭り恒例の海上自衛隊護衛艦一般公開をLock氏と見に行った。(下図)

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 この日来ていたのは、佐世保基地所属の護衛艦“とね”だった。(下図)

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 “とね”は、基準排水量2000トンの地方隊用護衛艦あぶくま級の6番艦として平成5年に竣工した。艦番はDE234。(下図)

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 一般公開は9時からと13時からだったので、午後から行くことにした。13時前に現地に着いたところ、既に一般客の乗艦が始まっていた。
 しかし、艦内設備には13時まで入れないとのことで、とりあえず前甲板を見に行った。

 前甲板には76mm砲があるが、この日は驚いたことに砲の内部も見えるようにしていた。(下図)

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 前甲板を見終わった頃、時間となり艦内へ入ることができた。順路に従い、まずはラッタルを上がり艦橋へと入った。(下図)

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 艦橋をざっと見た後、内部のラッタルを降りて艦内奥深くへと入っていった。途中艦内の略図があった。(下図)

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 この略図は順路を示しているようだ。そのまま進んでいくと人集りがあったので、見てみると機関室のようだった。
 昔の艦と違い機関室では艦のダメージコントロールも担当しているようで、監視盤もあった。(下図)

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 その後、順路に従い進んでいくと後甲板に出た。後甲板にはCIWS20mmバルカン砲があった。(下図)

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 今まで見た艦では、対空用のバルカン砲は、もっと高い位置にあり、こんな間近で見ることができなかったのだが、この艦では心ゆくまで見ることができた。
 後甲板からはこのほかハープーン発射機も見ることができた。(下図)

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 この発射機の形状では、昔の魚雷などと異なり、航海中に再装填はできないようだ。
 Lock氏の話では、現代戦では昔のように「外れた!次!!」となることはないので、これで構わないそうだ。

 そうして、一通り見て回ったので艦を降りた。港祭りには、以前は一線を退いた特務艦が来ていたのだが、最近では現用艦が来ているので、非常に興味深い。できれば来年もまた見に行きたいものだ。
 その時は、まだ見たことのない“こんごう”級護衛艦に来て欲しいものだ。

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August 07, 2005

8月7日 呉 大和ミュージアム

 8月7日、この春、呉市にオープンした“大和ミュージアム”(別名:呉市海事歴史科学館)を見に行った。(下図)

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 少しでも旅費を安く上げようと、青春18きっぷで行ったので、移動時間が片道6時間も掛かってしまった。
 呉駅に着くと、ご丁寧に順路が示されていた。(下図)

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 事前にHPで確認していたので、だいたいの方角は分かっていたのだが、順路に従っていくと、簡単に目的地に着いた。(下図)

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 入り口の前には戦艦“陸奥”の主砲やスクリューなどが展示してあった。(下図)

(主砲)
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(スクリューと舵)
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 休日でもあり、天気も良かったので、中にはいると、人でごった返していた。この時期は常設展と企画展があり、共通チケットを購入し、まずは常設展から見ていくことにした。 中にはいると、いきなりこのミュージアムの目玉、10分の1サイズ戦艦“大和”の模型があった。(下図)

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 全長26メートルもあるので、大きすぎてフレームに収まりきれなかった。角度を選んで、何とかフレームに納めてみたが、全体が収まったのは、真っ正面ぐらいしかなかった。(下図)

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 この他、“大和の技術”のコーナーや、“呉の歴史”コーナーなどがあり、当時の物やビデオなど、いろいろな物が展示されていた。(下図)

(大和の構造)
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(現存する大和の設計図)
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 なかでも、1982年、1999年の2回にわたり行われた大和捜索、特に99年テレビ朝日が行った“大和プロジェクト'99”で判った、沈没した大和の模型があった。

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 その昔、テレビで見た宇宙戦艦ヤマトの第1話では、戦艦大和の残骸は、海底に斜めに沈座していたので、そのイメージが強かったのだが、実際には船体は二つに折れ、転覆して沈んだので砲塔も抜け落ちていた。
 さすがに、これでは再生して宇宙戦艦にすることは無理のようだ。


 また、大和ミュージアムでは、大和と呉に関すること以外にも、いろいろな物が展示されていた。
 まず、小さい物では山本五十六大将直筆の短冊や南雲忠一中将の短剣があった。(下図)

(山本五十六大将の短冊)
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(南雲忠一中将の短剣)
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 この他にもドイツから潜水艦で航空機の技術資料を持ち帰ろうとして果たせなかった庄司技術中佐が家族に宛てた直筆の手紙も展示してあった。残念ながら、これは著作権法の関係か撮影禁止だったので、展示パネルだけを撮影した。(下図)

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 この他にも大型展示物があり、その中には小型潜水艇の“海龍 ”や零戦62型もあった。(下図)

(海龍)
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(零戦62型)
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(回天)
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 これらを見ながら、順路に沿って3階まで上っていくと、「船を造る技術」の展示として、子供向きの操船シミュレータやサイエンス教室があった。
 同じような物を、だいぶ前に行った、お台場にある“船の科学館”で見たことがある。やはり、この手の所では、定番の出し物なのだろう。

 そうして進んでいくと、今度は「未来へ」というテーマの展示コーナーへと続いていた。
 順路に沿ってH-Ⅱ型ロケットの写真などがあり、場違いな物を展示しているけど、これも船を造る技術の応用とでも言うつもりなのかなと思っていたら、違った。
 展示室にはいると、出迎えてくれたのは、なんとアナライザーだった。(下図)

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 そう、ここは“宇宙戦艦ヤマト”について展示がしてあった。原作者松本零士氏の寄贈を受け、先ほどのアナライザーやヤマトの模型、松本零士氏の原画などが展示してあった。(下図)

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 このとき始めて知ったが、“宇宙戦艦ヤマト”は、1000年後に復活し、かつての乗組員の子孫達と再び宇宙へ飛び立っていったという新作“新宇宙戦艦ヤマト”が今、不定期連載されているらしい。
 以前、松本零士マニアの友人から聞いたことがあるが、宇宙最強の戦艦3隻(アルカディア号、クイーン・エメラルダス号、宇宙戦艦ヤマト)が並んで戦っている漫画があるという。
 アルカディア号とエメラルダス号は、並んでいてもおかしくないが、宇宙戦艦ヤマトは時代が違うので、変だなと思っていたが、どうやらこの1000年後のヤマトなのだろう。


 常設展示を見終わったので、併設されている企画展示「原爆と呉」を見ることにした。(下図)

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 いわゆる広島の原爆についての展示だが、その中に日本の原爆研究についての展示があった。その中には、漫画「ジパング」でも見かけた名前が見られた。(下図)

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 結局、日本は原爆製造に至らなかったが、この研究があったからこそ、広島に落とされた新型爆弾が原爆だということが判ったそうだ。


 そうして、全ての屋内展示を見終わったので、ミュージアムの裏の海岸にある屋外展示を見に行った。
 そこには、潜水調査船「しんかい」をはじめ、数隻の船が展示してあった。(下図)

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 これらの展示の向こうに大和の前甲板を模した“大和波止場”があった。(下図)

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 ここは原寸大で造られているので、大和の大きさを実感することができる。


 一通りの展示を見終わったので、何かおもしろい物がないか、みやげ物売り場を見に行くことにした。
 ここには、ご多分に漏れず、各種大和グッズや呉名物があったが、それ以外に目を引いた物があった。
 これは、おそらく松本零士つながりなのだろうが、“わが青春のアルカディア”に出てきたメッサーシュミット戦闘機の照準機「Revi C/12D」の模型が置いてあった。(下図)

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 以前、「なんでも鑑定団」に実物を持ち込んだ人がいたが、これはその人が番組中で模型化すると言っていた物なのだろう。
 さすがに、こんなものは持って帰れないし、第一6万円もするので手が出ないので、見るだけにした。
 結局、買って帰ったのは、ある意味定番の「呉海軍亭肉じゃがカレー」と「海軍さんの珈琲」になった。(下図)

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 「海軍さんの珈琲」は、以前佐世保に行ったときに買って帰り、ひと味違うが結構いけるということが判っている。
 「呉海軍亭肉じゃがカレー」は、食べたことがないので、どんな味か楽しみだ。

 そうして、帰りの電車に乗る時間が迫ってきたので、呉駅へと向かった。
 今回、呉の滞在時間は正味2時間ぐらいだったが、さすがにこれでは大和ミュージアムしか見ることができないので、次の機会があれば、もっと時間をとって他の所も、見て廻りたい。
 その時は、旧海軍の資料が多い、江田島にも行ってみたいものだ。

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September 11, 2005

9月10日 佐世保 セイルタワー

 9月10日、佐世保市にある“セイルタワー”(正式名称:海上自衛隊佐世保史料館)を見に行った。(下図)

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 今回も旅費を安く上げようと、青春18きっぷで行ったので、移動時間が片道6時間も掛かってしまった。
 佐世保駅に着くと、駅前のバスセンターでバスに乗り換え、元町というバス停で降りると、道路の向こう側にセイルタワーはあった。(下図)

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 セイルタワーは、その正式名称から判るように海上自衛隊の施設なので、入場料は無料だ。中に入ると、受付で記名し、エレベーターで7階まで上がるように指示された。

 7階には大きな映像ホールと展望ロビーがあり、展望ロビーからは佐世保湾が見えた。(下図)

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 正面に見えるのが米軍基地で、ちょうど米海軍の艦船が泊まっていた。

 映像ホールは時間帯によって上映内容が違うようだが、上映にはまだ間があったので、それは見ずに下に降りることにした。

 以下、6階の展示が「海軍の軌跡Ⅰ」となっており、ここには勝海舟の胸像をはじめ、幕末の長崎海軍伝習所から明治初期までの展示物が展示してあった。

 5階は、「海軍の軌跡Ⅱ」となっていて、ここには東郷平八郎の胸像のほか日露戦争の史料が展示されていた。その中には、バルチック艦隊司令官ロジェストウェンスキーが捕虜となり佐世保の病院に収容された際の写真もあった。

 4階は、「海軍の軌跡Ⅲ」で、昭和の日本海軍についての展示があった。ここには山本五十六の胸像があり、太平洋戦争の主な海戦についての展示もあった。

 3階までくると、展示内容はがらっと変わり、海上自衛隊の展示になった。この階は「海上自衛隊Ⅰ」となっていて、海上自衛隊の発祥から最近までの歩みを展示してあった。

 2階は、「海上自衛隊Ⅱ」となっていて、湾岸への艦船派遣など、最近の出来事についての展示と、シミュレータや子供向けのクイズ機があった。
 この他、海軍時代からの文書や各種雑誌を所蔵した閲覧室もあり、許可をもらえば全て見ることができる。

 そして、1階まで降りると、特別展示会場となっていた。ここまでは、撮影禁止となっていたので、写真を撮ることができなかったが、1階の特別展示だけは写真撮影可となっていたので、撮りまくった。
 今年は日本海海戦100周年を記念して、の展示となっていた。(下図)

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 この展示会場で一番目を引いたのは、魚雷の模型だった。(下図)

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 この魚雷、日露戦争時のものかと思ったが、戦後に開発されたものだった。場違いなところに置いてあり紛らわしい。

 その他、日本海海戦についてのパネル展示があり、これを眺めていくだけで、海戦に至るまでから海戦後のことまで概要がわかる。(下図)

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 展示を一通り見終わった後、1階にある売店で何かおもしろい物はないか探してみた。
 結局、買って帰ったのは、特別展示についての冊子「図録日本海海戦」と今回も定番の「佐世保名物海軍さんのビーフシチュー」に「海軍さんの入港ぜんざい」となった。(下図)

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 もちろん、ここにも「海軍さんのカレー」と「海軍さんの珈琲」はあったが、コーヒーは、以前呉で入手した物と同じ物なので今回はやめておいた。
 ちなみに呉で買った「呉海軍亭肉じゃがカレー」は、非常にうまかった。あれならまた買って帰りたいものだ。

 また、「図録日本海海戦」は、展示パネルを元に作成したようで、内容的には同じことが多かった。

 そうして、帰りの電車に乗る時間が迫ってきたので、佐世保駅へと向かった。
 今回、佐世保の滞在時間もだいたい2時間ぐらいだったが、セイルタワーだけなら十分だった。もちろん他にも見所はあるのだが、さすがに廻りきれないので、それは次の機会にしよう。
 その時は、米軍関係の施設も見てみたいものだ。

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September 20, 2005

9月16日 海外紀行 ウラジオストック その1

 9月16日~19日、チャーターツアーでウラジオストックに行ってきた。
 このツアーは、来年3月開港の新北九州空港に少しでも多くの路線を持ってこようとする運動の一環らしく、企画が新北九州空港建設・利用促進協議会となっていた。
 実際には東急観光と西鉄旅行が運営し、私の所には東急観光から連絡がきた。

 私は知らなかったが、これまでも、この手の企画は結構開催されていて、北九州空港からチャーター便利用により企画旅行が各国へ出ていたらしい。

 出発に際して、なぜか物々しい式典が行われた。(下図)

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 後で判ったことだが、このツアーは、新北九州空港開港のための政策的なもので、この旅行中に新北九州空港とウラジオストック間での定期便就航の発表がされていたらしい。
 何でも、私たちがウラジオ行きに乗った飛行機に向こうの社長が乗って来て、契約の調印を行ったそうだ。

 また、ツアー客には地元の名士が何人もいて、具体的な名称は避けるが、地元企業の社長や学校の先生などが多数参加していた。もちろん、私を含め一般客もいたのだが、半数近くがそうなので、何か特別な集まりなのかと添乗員に聞いたところ、そう言うわけではなく偶然だとの答えだったが、本当なのだろうか?
 しかし、これってサスペンスドラマでよくある、旅行中に連続殺人事件が起こるパターンなんじゃないかと思ったが、幸いそれはなかった。

 しかし、このツアーの参加者は、私以外みんな高齢の方ばかりで、最年少の私の次に若いのは、40代後半から50代前半と思われる夫婦で、その他は50代後半から60代ばかり、最高齢は84歳のおじいちゃんだった。この方は、シベリアに2年抑留されていたそうだ。


 そして、飛行機が遅れて到着したので、30分ほど遅れて出国審査と搭乗手続きが始まった。
 普段は1日数便が羽田と往復するだけのローカル空港なので、出国審査や税関はどうするのだろうと思っていたら、このチャーター便のために出発口の方をカーテンで区切り、臨時の出国審査ブースを作っていた。

 何事もなく審査を終えて、飛行機の乗り口に行くと、いつものスロープと違って、外に出るようロープが張ってあり、それに従って行くと、飛行機があったが思ったよりも小さいので、びっくりした。(下図)

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 この飛行機は、ヤコブレフYK-40というロシア製の旅客機で、どう見ても離島便につかうような小型飛行機だが、こんなのでウラジオまで飛べるのか?

 機内に入ると、外見同様にとても狭く、その上内装も非常に古いものだった。幸いにも無事離陸し、まずは給油のための経由地、新潟空港へと向かった。日本のスタッフが良かったのか、出発は時間通り1時30分だった。

 離陸後、1時間ほどして、まずは軽食が出て、次いで機内食が出た。軽食は、ピーナッツをつまみにビールやワインにソフトドリンクなどを自由に選べた。つまみのピーナッツは日本の物と比べて味付けが変でまずかった。(下図)

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 機内食は、パンとチーズにベーコンが出た。(下図)

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 この時、付いていたブドウのようなものを食べてみると非常に酸っぱく、どうやらブドウではなく梅か何かではないかと思った。チーズやベーコンも日本の物より塩味が強く、これが向こうの味付けかと思った。


 そうして、北九州空港から2時間かかって新潟空港に着いた。給油のため乗客は一旦飛行機を降り、空港の免税店に行った。
 新潟空港の免税店では、他の空港と同じく、酒、タバコ、香水が並べられていた。確かに市価よりは安いのだが、そこまで欲しいと思う物はなかったので、何も買わずに時間を潰した。
 後から思えば、ここでウィスキー1本とのど飴を何個か買っておけば良かったのだが、この時は、そんなことは判らなかった。
 そして、約40分後に給油が終わり、新潟空港を出発した。


 新潟空港を飛び立つと、後はウラジオストック空港まではノンストップだ。予定では、これが2時間ぐらいかかるので、到着は6時を過ぎるはずだ。

 離陸して1時間ぐらいすると、また機内食が出た。今度は日本の折り詰め弁当だった。(下図)

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 さっき食ったばかりなので、あまり腹は減っていないが、とにかく詰め込むことにした。スチュワーデスが飲み物は何が良いか聞いてきたので、日本のお茶を頼んだところ、日本と違ってお湯とティーバックを渡された。ここまではまだ許せるが、このスチュワーデス、お茶にレモンを入れやがった。(下図)

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 あまりのことに唖然としたが、どうやらロシアでは、種類を問わずお茶にはレモンを入れる習慣のようで、平然と去っていった。このとき、口が乾燥して飯がのどを通らないため、仕方がなく飲んでみたが、やはりひどい味だった。


 そして、なんとかウラジオストック空港に着いた。時計を見ると6時30分だった。北九州空港を離陸してから5時間掛かって到着したことになる。
 6時30分なら北九州ではまだ明るいのだが、ウラジオストックは、もう真っ暗だった。


 飛行機を降りると、雨がパラついていたので、大急ぎでバスに乗り、空港の建物まで行った。

 バスを降りると、空港施設内の入国審査のブースに行った。ここでは私たちの一行だけでなく、他のツアーで来たと思われる韓国人の一団が先に審査を受けていた。
 待たされること、30分ほど。私の番になり、入国審査官の前に行き、パスポートと出入国カードを提出した。
 審査官はブースの中で無言のままパスポートを見て、スタンプをバンバンと押していった。
 事前に読んでいたガイドブックでは、この時にロシア語で質問があるようなことを書いてあったので、受け答えを練習していたが、幸か不幸かそれは無駄になった。

 入国審査の次は税関の審査があり、これもパスポートと出入国カードを見せるだけで、一言も話すことはなかった。
 税関の審査を終えると、すぐ隣が荷物の受け渡し所になっていて、ターンテーブルには既にスーツケースが来ていたので、自分のものを掴むと出口へと向かった。

 出口では添乗員と現地ガイドが待っていた。スーツケースをポーターに預けた後、しばらく待つようにとのことだったので、トイレに行き、空港事務所にあった時計を見て、現地時間に時計を合わせた。
 ウラジオストックは、サマータイムが適用されているので、日本時間より2時間進んでいた。
 時計を合わせた後、しばらくすると全員揃ったようで、バスに乗るよう指示があった。バスはヒュンダイ製の左ハンドル車だった。(ロシアは右側通行)
 バスに乗ると、ポーターが荷物をバスに積み込んでいた。それが終わった頃、出発となった。時計を見ると現地時間で9時40分だった。

 バスが出発すると、現地ガイドから挨拶があった。ガイドはオリガさんという女性で、ロシア極東国際大学の日本語学科で日本語を学び、奈良に1年留学したことがあるとのことだった。

 ウラジオストック空港は、市街から離れたところにあり、だいたい車で50分かかるそうだ。(下図)

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 この日の予定は、ウラジオ市街までの途中にあるレストランで夕食後、ホテル入りとなっており、まずはレストランへと向かった。
 その道すがらガイドから、ロシアでは外国人向けの一部の店を除きルーブルしか使えないので、五千円分のルーブルを用意してあるので、希望者には両替しますとのアナウンスがあった。
 ルーブルは海外持ち出し禁止なので、日本国内では両替することができない。ガイドブックでは空港で両替しろと書いてあったが、到着が夜になっていたため既に両替所が閉まっていてできなかったので、私を含め全員がこの時に両替をした。これが正解だったことは、すぐ後に判った。
 30分ぐらいして、レストランに着いた。レストランはバラクーダと言うロシア料理の店で、事前にもらった旅行のしおりによると、この日はボルシチがメインの料理となっていた。(下図)

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 ガイドから、水と食後のコーヒーと紅茶は食事料金に入っているが、ビールとワインは別料金なので、現金で払う必要があるとのことだった。
 ビールがグラス1杯120ルーブルで、ワインは150ルーブルとのことだった。1ルーブルがだいたい4円なので、これは高いと思った私は、頼まないことにしたが、他の方々はビールやワインを頼んでいた。
 どんなビールが出されるのかなと思っていたが、運ばれてきたビールは、アサヒの黒生だった。

 そして、料理が出てきた。前菜はサラダで、そしてメインのボルシチ、じゃがいもとイカの揚げ物、最後にデザートのアイスクリームの順番だった。(下図)

(サラダ)
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(ボルシチ)
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(揚げ物)
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(デザート)
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 どれも日本では考えられないほど大量に出てきたが、飛行機の中で食べた弁当が胃にもたれていて、あまり食べることができなかった。これはこのツアー参加者全員がそうだった。
 このとき、同じテーブルに座っていた人が言っていたが、ロシアではロシアンタイムと言う言葉があり、ロシア人は日本人のようにあまり時間を気にすることが無い国民性だそうだ。
 それ故に、機内食を出す時間も全く配慮が無く、また皿が空いたにも関わらず、料理を出すのが非常に遅く、客を待たせても平気だそうだ。
 この人は、ロシアとの貿易をしているそうで、食事中も時々携帯電話でロシア人と話していた。何でもこの後、宿泊するホテルで待っているサハリンから来たロシア人の友人と会うとのことだったが、どうせロシアンタイムだから1~2時間待たせても構わないと言っていた。ロシア人ってそんなに気が長いのだろうか?
 ロシアンタイムの話題が出たときに、中国人も似たようなものだと言う人もいた。大陸性の気質とは、どうやら時間にきわめてルーズと言うことのようだ。

 食事中、大声で騒いでいるロシア人客がいたので、ケンカでも始まったのかと思ったが、ガイドの説明によると、明日は土曜日なのでロシアでは結婚式が多く、あの騒いでいる人たちもそうだとのことだった。

 食事が終わると再びバスに乗り、ウラジオストック市内にあるホテルへと向かった。宿泊するホテルは、ヒュンダイという韓国系のホテルで、ウラジオでは1番良い高級ホテルだ。
 ホテルにチェックインした時間は、現地時間で午後10時を過ぎていた。泊まった部屋は11階で、ツインルームを一人で使うことになった。このため、申し込みの際に追加料金を取られたが、まあ仕方がない。
 部屋そのものは、結構広く調度品も良いようだった。(下図)

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 バスルームも広く申し分ないのだが、難点を言えば、高級ホテルなのにトイレがウォシュレットではなかったことだ。
 それとトイレットペーパーの紙質が悪く、キッチンペーパーのような紙を使っていた。
 幸い、旅行のしおりにトイレットペーパーのことは書いてあったので、日本から持って行っていたが、それにしても街一番の高級ホテルがこれでは、ロシアの文化度は日本と比べると、まだまだということだろう。

 部屋の窓からウラジオの町並みが見えた。三脚を持っていていないので、写真は手ぶれしてしまったが、日本の観光地と比べると明かりが少ないように感じた。(下図)

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 寝る前に一杯飲むかと思ったが、部屋の冷蔵庫にあるビールやミニバーにあるウィスキーのミニボトルはどれも非常に高く(だいたい市価の10倍)、これを飲む気にはなれなかった。(下図)

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 ホテルの売店か外に買い出しに行こうかと思ったが、まだロビーにいたガイドと添乗員の話によると、ウラジオストックにはコンビニのような24時間営業の商店はなく、だいたい午後7時にはどこも締まってしまうそうだった。

 仕方がないので、部屋の冷蔵庫からミネラルウォーターを1本だけ飲んで、寝ることにした。この時、新潟空港で酒を買って来ればよかったと思った。

 ここで、ウラジオストックに旅行に行く人にアドバイス。他のホテルは判らないが、ヒュンダイでは、お湯とミネラルウォーターの給水器が廊下にあり、自由に使うことができた。
 入れ物を持って行けば、わざわざ値段の高い冷蔵庫のミネラルウォーターを買うことはないので、是非お勧めする。

 こうして、ウラジオストック1日目の夜は、終わったのであった。


(続 く)

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September 22, 2005

9月17日 海外紀行 ウラジオストック その2

 朝、昨夜仕掛けておいた目覚まし時計が鳴ったので目が覚めた。時計を見ると、時間は現地時間の午前6時。日本時間なら午前4時だ。
 窓の外はまだ暗く、夜も明けていない頃だが、朝食が7時からなので、これぐらいに起きておかないと、日本の旅館のように浴衣でうろつける所ではないので、着替える時間が無くなる。
 とりあえず、部屋に備え付けのテレビで唯一映る日本語放送、NHKのBSを見ながら身支度を調える。多少雑音が混じっているとはいえ、こんな所でも映るとはBSも高い受信料を取るだけのことはあるのだなと思った。

 そうしている内に7時を過ぎたので、2階にある食堂へ行った。結構早く行ったはずなのに食堂には結構人が入っていた。
 朝食はバイキング方式で、内容は日本のホテルと比べると、それほど大きな違いはないが、さすがにみそ汁や納豆はなく、主食も黒パンをはじめとするパン類だった。
 しかし、韓国系のホテルだけあってか、白いごはんとキムチはあった。

 とりあえず、旅行中は不足しがちな野菜類を多めに、その他の物を少しずつ皿に取り空いている席に着き食うことにした。
 食い終わった後、部屋に戻り窓の外を見ると、だいぶ明るくなってきた。そして、ウラジオストック2日目の夜が明けた。


 昨日の夜は暗くて判らなかったが、部屋の窓からウラジオの港が見えた。(下図)

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 ウラジオ艦隊の軍艦と思われる艦船が数隻見える。あれを間近に見る機会はあるのだろうか?
 窓ガラスに水滴が付いているので、窓を開けてみると、外は雨だった。せっかくのウラジオ観光が雨とは、残念だが仕方がない。
 また、窓を開けたとき、海の近くなので普通なら潮の香りがしそうなものだが、ここでは重油の臭いがした。これは、公害防止の規制がされてないのだろうか?

 そうしている内に集合時間となり、ウラジオ市街の観光に出かけた。
 この日の予定は、中央広場と戦士の像、C-56潜水艦博物館、ニコライⅡ世凱旋門、鷲の巣展望台、要塞博物館、昼食の後、シベリア鉄道体験乗車、郊外のロシア人宅訪問、バザール見学と目白押しになっていた。

 バスに乗り、まずは沿海州政府中央広場へと向かった。ここでは革命戦士の像を見学となっていた。
 この広場、各種イベントが行われるらしいが、この時は特に何も行われて無かったので、革命戦士の像(下図)を除けば、ただの空き地でしかなかった。

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 これらの戦士像は、特定の人物を表しているのではなく、革命に参加した無名戦士一般を表しているそうだ。いかにもソ連邦時代に作られた像といったところか。
 また、広場の周囲には、昔の面影を伝える欧州風建物が数多く保存されていた。(下図)

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 これって、門司港レトロのようなものかと思ったが、これらの建物は人為的に移設されたものではなく、沿海州政府が観光資源保護のため、入居者に保存を義務づけているそうだった。

 中央広場を一通り見終わると、再度バスに乗り、C-56潜水艦博物館、ニコライⅡ世凱旋門へと向かった。
 この二つは同じ所にあり、バスを降りると、正面には陸揚げされた潜水艦の巨体があった。(下図)

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 潜水艦に入る前に、まず大祖国戦争の戦勝記念モニュメント(下図)についての解説があった。これは戦没者を祀る意味もあるようで、壁面にはそれを表す文字とレリーフが、びっしりと刻み込まれていた。

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 大祖国戦争とは、知る人ぞ知る第2次世界大戦において1941年から1945年にかけて行われた独ソ戦のソ連側の呼称だが、このモニュメントの両側にはそれを表す物が立っていた。(下図)

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 1941年側の上にあるのは、どう見てもT-34/76戦車の砲塔だが、戦車丸ごとではなく砲塔だけを置いているとは、これを作った人は一体何を考えていたのだろう?

 説明が終わると、C-56潜水艦博物館に入っていった。潜水艦にはどうやって入るのかと思っていたが、右舷側にはちゃんと出入り口が整備されていた。(下図)

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 この潜水艦は第2次世界大戦で活躍したそうだが、ソ連軍の潜水艦の話など日本では聞くことがないし、展示に書いてある文字も読めないので、一体どこで何をしたのかよく分からない。
 入り口から艦内にはいると、そこは元機関室でエンジンを取り外して展示室にしていた。(下図)

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 先に進んでいくと、だんだん通路は狭いハッチとなってきた。このあたりは潜水艦らしい作りだ。そうして、司令室にたどり着いた。(下図)

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 通路もそうだが、この司令室も一言で言って非常に狭い。この潜水艦自体が日本の伊号潜水艦などと比べて半分ぐらいの大きさなので、狭いのは当然なのだが、これに乗っていたのは大柄なロシア人なのだから、この船の乗組員は、一体どういう生活をしていたのだろう?

 何とか潜水艦の中をくぐり抜け、船首までたどり着いた。ここでロシア水兵のコスチュームを着て写真を撮らないかとロシア人に勧められたが、有料だったのでやめにした。

 C-56潜水艦博物館を出ると、すぐ近くにあるニコライⅡ世凱旋門を見に行った。(下図)

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 これは、ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世が皇太子だった頃、ウラジオストック訪問を記念して建てられたのだが、その直前に大津事件で負傷し、このため予定が繰り上がりウラジオ訪問が1ヶ月早まった。突如の予定変更で訪問前の完成が危ぶまれたが、何とか間に合ったという逸話があるそうだ。
 その後、ロシア革命でロマノフ王朝が倒れ、ソ連邦になった後、この凱旋門は帝政の象徴として取り壊されたのだが、2003年に復元されたそうだ。

 上の画像では暗くて判りにくいが、この日、ここでは結婚式が行われていた。このため近くの道路には飾り付けられた車があった。(下図)

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 ガイドが言っていたが、ウラジオを走っている車の99.9%は日本車で、残りをロシア国産車をはじめとする他の国の車が分け合っている。このハネムーンカーもそうだが、町中で見かける車も日本車以外を見つける方が難しかった。

 一通り見学が終わるとバスに乗り、次はウラジオストック中央駅を見学に行った。(下図)

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 午後からシベリア鉄道の体験乗車があるのだが、その時に見学の時間が取れそうにないので、先に見ておくとのことだった。また、駅前にはレーニン像があった。(下図)

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 レーニン像の右手は海を左手は地面を指しているが、これは海に出て稼いできて、ウラジオでつかえという意味だとガイドが言っていたが、本当だろうか?

 駅舎に入ると、ここでは天井を見てもらいたいとガイドが言っていた。駅舎の天井にはフレスコ画が描かれていて、この絵はモスクワの駅舎と同じ物だそうだ。(下図)

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 ガイドが午後からの体験乗車の切符を買ってくると言い行ってしまったので、しばらく駅舎の中やホームを見ていた。
 駅舎そのものは、そう大きなものでは無いが、ここがシベリア横断鉄道の終着駅だと思うと感慨もひとしおだ。(下図)

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 すると、同じツアーの一人が、駅のトイレに行ったら有料で3ルーブル取られたと言っていた。町中に有料トイレがあるということは聞いていたが、駅のトイレまでそうとは思わなかった。

 ガイドが戻ってくると、駅舎を出てホームを見に行った。入場券が無くて良いのかなと思ったが、日本と違い駅には改札が無く、駅舎の外の陸橋からすぐホームに降りることができた。
 降りたホームには、ウラジオストック駅の象徴である9288キロポストがあった。(下図)

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 この柱は、ここウラジオストックが、モスクワから9288km離れていることを表しているのだが、ガイドブックによると、この9288と言う数字は、現在の営業キロとも2001年6月以前の営業キロとも違うそうだ。では、一体いつの数字なのか聞いてみたが、残念ながら誰も知らなかった。

 この他、第2次世界大戦当時シベリア鉄道を走っていた蒸気機関車も展示してあった。(下図)

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 台座に由来が書いてあったが、ロシア文字だったので残念ながら読めなかった。これらを見終わった後、ウラジオストック中央駅の隣にある船の貨客ターミナルを見に行った。(下図)

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 このターミナルからは、港の様子を見ることができた。(下図)

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 陸と海のウラジオストック駅を見た後、バスに乗り、次の見学予定の要塞博物館へと向かった。

 要塞博物館は、その名の通り、元々はアムール湾に面した高台にある海岸防衛用の要塞を博物館にしたもので、一番高いところに登りアムール湾を見てみた。(下図)

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 ここには、艦砲を陸揚げしたような砲台が多数あった。これらは自由に動かして良いそうだ。(下図)

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 また、ここでの一番の出し物は、正午に行う午砲で、本物の大砲を使って空砲を撃つため、空砲の破片で以前けが人が出たことがあるそうだ。このため、午砲を撃つときに大砲正面に立ってはいけないとガイドが言っていた。(下図)

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 この日は、午砲にはちょっと早めに着いたので、展示物を見て歩いた。ここには色々な兵器が展示してあったが、中には何でこんな物がと言う物が多数あった。(下図)

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 上は旧日本軍の大砲で、説明書きには38式(アリサカ)75mm砲と書いてあった。形から見て、改造38式野砲ではないかと思われる。

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 上は、どう見ても第2次世界大戦にドイツ軍が使っていた37mm対戦車砲だ。この対戦車砲は、当初は戦車の装甲がそこまで厚くなかったので使えたのだが、独ソ戦ではT-34やKVの重装甲に全く歯が立たず、ドアノッカーという別名をもらってしまい、二線級兵器となったものだ。
 これらは戦時中の鹵獲兵器だろう。でも旧日本軍の物は判るが、なぜドイツ軍の物があるんだ?

 また、ソ連軍時代の装甲車も展示してあった。(下図)

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 この他にも多数の兵器が展示してあったのだが、見学時間が決まっているので、じっくり見ることはできなかった。
 そうしている内に午砲5分前のアナウンスがあったので、大砲の所に行った。すると、ここでも結婚式が行われていた。(下図)

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 午砲を合図に宣誓でもするのかなと思っていたら、その午砲が不発だった。(下図)

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 再整備後、2発目は無事発射されたが、その轟音は花火の比ではなく、耳を塞いでいたにも関わらず、しばらく耳鳴りがした。

 午砲を見終わると、バスで昼食会場へと向かった。昼食はノスタルジアというレストラン(下図)で、ビーフストロガノフがメインとのことだ。
 ここではキャビアの試食もするので、気に入ったら買ってくれとガイドが言っていた。

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 出された料理は下の通り。後から気づいたが、肝心のビーフストロガノフを撮り忘れていた。

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 ご存じかと思うが、ビーフストロガノフは、カレーライスに似たロシアの料理だ。カレーライフと比べると、ルーがやや水っぽく、あまり辛くない。

 また、このノスタルジアというレストランは、内装はワインレッドを基調とした豪華な作りで、壁にはロマノフ王朝の皇帝や皇后と思われる肖像画が多数掛けてあった。

 食事中、キャビアの試食が廻ってきたので少し食べてみたが、イクラと同じような味がした。値段も50gが4千円もするので、値段的には国内で買うより安いのだが、私は買わないことにした。

 食事が終わる頃、同席した同じツアーの人が、店の外でタバコを吸っていると、嫌なものを見たと言って戻ってきた。
 この時、私たちの他にも日本人観光客の一団がいたのだが、それを連れてきたロシア人ガイド(私たちのガイドより若い美人のネーチャンだったので、目立っていた)が、店の者からキックバックを受け取っていたのを見たそうだ。
 その人の話では、こんな事は日本でもあることだが、それにしても客の目につくような所でするとは信じられないと言っていた。
 その後、この人は旅行業界の裏話をたくさん披露した。

  こうして、17日午前中の観光はなんとか終わり、午後の観光へと続いていくのだった。

 (続 く)

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October 08, 2005

9月17日 海外紀行 ウラジオストック その3

 昼食が終わると再びバスに乗り、次の目的地である鷲の巣展望台へ向かった。鷲の巣展望台は、ウラジオストック市の西部に位置し、金角湾を望む市内で最も見晴らしの良い高台にある。(下図)

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 この展望台へはケーブルカーで来ることもできる。最近までこのケーブルカーは休止していたそうだが、今年になってから再開されたそうだ。

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 この時は、あいにくの雨模様に加え、強風が吹いていたので、傘を飛ばされそうになった。また、展望台へ上るの道は舗装されているものの、でこぼこが多く大きな水たまりが、あちこちにできていた。

 展望台を見終わった後、そこで日本語ができる露天商のあんちゃんから、ちょっとおもしろいマトリョーシカを買った。(下図)

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 ご存じの方もいると思うが、マトリョーシカはロシアの伝統的民芸品で、大きな人形の中に小さな人形が入れ子式に何段も入っている。普通は女の子の人形なのだが、これは現在のプーチンから遡るロシア(ソ連邦)の歴代政治指導者の人形だった。
 プーチンの中にエリツィン、そしてゴルバチョフといったように、どんどん遡り、最後はピョートルだと言っていた。(下図)

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 1個20ドルと言っていたのを、私の他に添乗員ともう一人のツアー客が一緒に買うので、1個17ドルまで値切った。
 その時、このあんちゃんの後ろの壁に奇妙な物を見つけた。(下図)

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 どう見ても武器のメイスだが、それも売り物かと聞いてみたら、60ドルだと言ったので、値切ってみたら30ドルまで下げてきた。
 20ドルにしろと言ったが、これ以上下がらないので買うのを止めた。さすがにこれは税関で没収されかねないので、30ドルがパーになることを考えると挑戦してみる気になれなかった。


 鷲の巣展望台を見終わると、次はシベリア鉄道体験乗車だ。バスでウラジオストック中央駅に行った。やはり駅に改札はなく、外から直接ホームへ入った。
 待つことしばし、時刻表の時間になっても電車は来ない。再びロシアンタイムという言葉が頭をよぎった。日本では考えられないことだが、これがこちらの国民性なのだから、仕方がない。
 それから5分近く立って、ようやく電車がやってきた。(下図)

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 ロシアの電車は、一言で言って(スピードが)遅い。上の写真の位置に見えてから、ホームに着くまで1分以上掛かっていた。
 電車がホームに着くと、大急ぎで電車に乗った。ロシアでは日本のように発車のベルもアナウンスもないので、モタモタしていると置いて行かれる。

 シベリア鉄道の体験乗車と言うので、有名なロシア号など特急に乗るのかと思ったら、私たちが乗ったのは、いわゆる鈍行列車だった。
 電車に乗ると、その内装の古さに驚いた。(下図)

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 木製の3人掛けの椅子とは、日本ではローカル線でも使っていない。念のために言っておくが、私たちが乗ったのは、観光用のレトロ車両などではなく、ごく一般に使われている車両だ。
 ソ連邦の頃、西側に比べて民生部門は遅れていると聞いていたが、それはいまだに変わっていないようだ。
 また、この列車には物売りが、何人も入り込んできていた。ある者はアイスクリームの入った大きな箱を持って、またある者はマフラーや靴下を体中にくくりつけていた。
 これらの人々は、スラムに住んでいる低所得層の人たちだそうで、ガイドは相手にしなくていいと言っていた。
 いわゆるバクシーシの類では無いようだが、これも自由化後のロシア社会の一面を表しているようだ。


 ある意味、貴重な体験をした後、私たちはウラジオストックから4つ離れたオケアンスカヤ駅で降りた。(下図)

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 ここでも、駅の階段に穴があいて壊れかけていた。鷲の巣展望台の水たまりと言い、階段の穴と言い、この国は日本などと比べると、まだまだ社会資本の整備が遅れている。
 無いよりマシ、あるだけマシと言うことなのだろうが、維持管理という観点が欠落しているのは、ソ連邦時代の置きみやげなのだろうか。
 また、この駅を出る時も改札口はなく、駅舎に人はいるのに無人駅のような感じだった。

 ここで、ツアー客のある人が、改札がないのに切符を買う必要があるのかという質問をガイドにしていた。確かに、このロシアの方式では無賃乗車し放題だ。
 ガイドは、確かに日本のような改札はないが、乗車中に車掌が検札に来たとき、切符を持ってないと3倍以上の罰金を取られるので、ちゃんと切符を買わなければいけないとのことだった。
 日本のJRのように何が何でも金を取ろうとする姿勢と比べると、ずいぶんアバウトなことだ。

 駅を出ると再びバスに乗り、郊外にあるロシア人の家を訪問した。
 学校のような施設の敷地を通り、藪の中の道を通り抜けて、その家に着いた。藪には脳炎ウィルスを持ったダニがいるので、入らないようにとガイドが言っていたが、言っている本人は素足にサンダル履きだったが、大丈夫なのか?

 学校のような施設を通り抜けているとき、最初ここは廃校になった学校だと思っていたが、所々洗濯物が干してあり、生活臭が漂っていた。
 ガイドに、ここは何か聞いてみると、サナトリウムだと言っていた。何の病気の人がいるのかは聞かなかったが、そんなところを部外者が通り抜けても気にしないのが、ロシアの国民性なのだろう。

 しばらく歩いて、訪問先の家に着いた。かなり大きな家で、庭には様々な花や野菜が植えられていた。この家の人は観光客に慣れた感じだったので、今まで何組も受け入れてきたのだろう。
 そして、家の中を見せてもらった。この家は地上3階地下1階の大きな家で、部屋も広く日本の家とは比べ物にならない。やはり土地が広いと、こんな家が建てられるのかと思った。
 また、階段の壁には、家族の写真がびっしりと貼ってあった。(下図)

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 その後、紅茶とパンケーキをごちそうになった。この家の庭で栽培したイチゴから作った自家製のジャムは、なかなか良い味だった。(下図)

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 お茶が終わると、その家の奥さん手作りというパッチワークを持ってきて見せてくれた。それらは売り物で、この家はそのパッチワークが大当たりしたので建てることができたと言っていた。私は買わなかったが、ツアーの何人かは買っていた。
 その後、お礼を言って、その家を出た。

 バスに戻ると、今度はウラジオ市街にある自由市場を見学に行った。自由市場ってフリーマーケットの事かと聞いてみると、違うと言っていた。
 市場に着くと、ここはスリや引ったくりが多いので注意するようにとガイドから言われた。

 市場の雰囲気は、バラック建ての店舗が軒を連ねていて、これは確かにフリマと言うよりも、戦後のヤミ市と言った方が良いような所だ。
 ここは値段も安いが、質も値段に見合ったものだとのことだった。(下図)

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 あちこちの店を見て周り、値段を見ると確かに安いものが多かった。スイカも1kgが30ルーブル(日本円で120円)で売っていた。(下図)

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 その後、肉を売っている建物に入った。肉屋の様子は、昭和40年代の日本の肉屋ようで、さばいたばかりの肉を並べていた。
 またディスプレイとして豚の生首を飾ってあった。(下図)

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 これは、日本の料亭で生け簀の魚を料理してもらうように活きの良さを表しているのだろうか?この欧米人の感覚は、日本人の私には判らない。

 肉屋を出ると、ちょうど正面にあった店の並びで、みんな水やタバコを買った。私も1.5リッターのミネラルウォーターを1本15ルーブルで買って帰った。これはホテルの10分の1の値段だ。
 この時、ロシアの清涼飲料水クワスはないかと聞いてみたが、ロシアにコカコーラが入ってきてからは、夏場しか作っていないと言われたのであきらめた。
 この他に、タバコを買っている人もいたが、ガイドの話によるとロシアのタバコは、タールやニコチンが強いので、自分も吸っていないと言っていた。

 また、市場内でスロットマシーンに興じている人を見かけた。(下図)

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 ガイドブックに書いてあったが、ロシアではカジノのような博打場だけでなく、街頭にもスロットマシーンがあり、老若男女の娯楽となっているそうだ。
 しかし、単なるゲームではなく、本当の博打を誰でも気軽に街頭でしている国って一体どういう所だと思うのは、私が日本人だからなのだろうか。

 自由市場を出た後、一旦ホテルに戻る予定だったが、ここでウラジオにある与謝野晶子の歌碑と浦潮本願寺の跡を見たいという人がいたので、見に行くことになった。
 どちらも極東国際大学の敷地内にあり、まずは与謝野晶子の歌碑を見に行った。(下図)

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 この歌碑は、与謝野晶子がウラジオストックを訪れたことを記念して建てられた。晶子がヨーロッパにいる与謝野鉄幹の後を追い、ウラジオストックからシベリア鉄道で旅立った際に詠んだ歌が日本語とロシア語で刻まれていた。(下図)

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 次に浦潮本願寺の跡を見に行った。同じ大学内だが場所が違うらしく、バスに乗って移動した。
 そうして、再び大学の敷地に入って行き、あったのが1つの記念碑だった。(下図)

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 ウラジオストックには、明治初期から様々な日本人が6千人ほど住んでいた。彼らが精神的な支柱としていたのが、この浦潮本願寺で、元々の寺は浄土真宗本願寺派によって1894年に建てられた。
 その後、寺はスターリンの命により取り壊されたが、2000年に記念碑が跡地に建てられたそうだ。(下図)

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 異国の地で苦労された先達に暫し黙祷を捧げ、その場を後にした。

 そして、一旦ホテルに戻った後、夕食のレストランへ行った。(下図)

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 このレストランは地下にあり、穴蔵のような部屋での食事となった。ここで出された料理は下の通り。

(サラダ)
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(ジャガイモのスープ)
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(ペルメニ)
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(デザート)
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(紅茶)
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 メインはペルメニという水餃子のような料理で、味のほどは、まあまあだった。しかし、どの料理も、とにかく量が多い。デザートのアイスクリームも日本なら1個のところを3個もあった。
 また、ここでも料理を出すのが非常に遅く、最初のサラダが出てから次のじゃがいものスープが出るまで、1時間近く掛かっていた。
 料理を運ぶのもアバウトで、とりあえず運んできてから数を数えていた。ここでもロシア人の国民性が実感できた。
 また、この時聞いた話では、ロシア人は引き算ができないそうだ。そのため、別料金のビールやワインを頼んだとき、端数を小銭で出されると、パニックになってしまい作業が遅くなるらしい。
 その他、ここでも紅茶をお湯とティーバッグで出してきた。どうやらこれは、個人の問題や一企業の方針ではなく、ロシア人の習慣らしい。

 食事が終わると、ホテルに戻った。時計を見ると午後10時近かった。やはりホテルの売店を始め、全ての店が閉まっているので、自由市場で買ったミネラルウォーターを飲んで寝ることにした。

 こうして、ウラジオストックの2日目は、終わったのであった。

(続 く)

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October 09, 2005

9月18日 海外紀行 ウラジオストック その4

 朝、この日も6時に目を覚ました。身支度をして7時15分頃に食堂に行くと、白髪の爺ちゃん婆ちゃんで大入り満員だったので驚いた。

 後で入り口にボードがあったのに気づいたが、この人たちは前日ホテル入りした、シベリア鉄道の旅15日間ツアーのツアー客らしい。
 ボードが英語で書いてあったので、何とか読めたが、これはアメリカ発のツアーのようで、あの老人達は、あり余るほど金と暇があるアメリカの金持ちなのだろう。

 この老人達がほとんどの席を占領していたので、仕方がなく奥の方にあった、テーブルクロスの掛かっていない席で朝食を食べた。開店15分でこんな状態なので、私より後に店に来た人は、席を確保するのが大変だったようだ。

 前日と違って、この日は8時半出発と早いので、部屋に戻った後、すぐに身支度を調えロビーへ降りていった。

 この日の観光は、金角湾クルーズ、ルースキー島散策、ロシア式バーベキューの昼食、アレセニエフ郷土史博物館、イグナット・ショッピングセンター、フォキナ通り散策、民族舞踊を見ながらの夕食となっていた。
 この日は、昨日とうって変わり晴天に恵まれたので、傘を持たなくても良いのが幸いだった。

 バスに乗り、港へと向かった。どんな船に乗るのかなと思っていたが、なんと彦島渡船で使っているような小さなフェリーボートだった。(下図)

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 ガイドから船に乗ったら椅子を確保しとかないと、すぐ一杯になると言われ、一旦狭い客室の椅子に座った。
 客室に窓はあったが、小さく、また高い位置にあるので外は見えなかった。これではおもしろくないので、外に出てみることにした。
 この船は、本来自動車がメインで、人間はおまけで運ぶようにできていたが、乗ってきたのは2台だけだったので、自動車を載せる甲板にも人が乗ってきていた。
 甲板から周りを見ると、ウラジオストック港の様子が一望できた。(下図)

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 そして右手には、昨日見たウラジオ艦隊の艦船が間近に見えた。(下図)

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 これは、おそらくスラヴァ級巡洋艦だろうと思いながら、シャッターを切っていたが、その時ふと、これって一昔前なら間違いなくスパイ容疑で捕まっているなと、頭をよぎった。それを思えば良い時代になったものだ。
 9時を過ぎ、そろそろ出港の時間のはずだが、いまだ出港する気配がない。それどころか。まだまだ人が乗ってきて、甲板も人であふれてきている。ここでもロシアンタイムで、乗れるだけ乗るまで船は出ないのだろうか?
 また、日本と違って船には何匹も犬が乗ってきていた。(下図)

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 どうやらロシアには、日本のように公共交通機関は動物お断りという風習はないようで、ルーズと言えばルーズだが、動物にとっては良い国のようだ。
 この他に、甲板には高校生ぐらいだろうと思われる数名の男女がいたが、こいつらビールを飲みながらタバコを吸い、空き缶や吸い殻を海に投げ込んでいた。
 ロシアでは、酒やタバコに年齢制限があるのかどうか判らないが、しかし空き缶や吸い殻をポイ捨てするのは、見ていて非常に不快だった。

 30分ほどして、やっと船は出港した。港の様子を立ち見しながらの船旅は、快適とは言い難いが、ウラジオ艦隊をいろいろな角度で見ることができて、その点だけは良かった。(下図)

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 スラヴァ級巡洋艦の他には、ウロダイ級ミサイル駆逐艦だと思われる艦が数隻いた。これらが、戦闘目的で出港することがあるとしたら、その目標は日本だろうから、そんなことは無いことを祈るばかりだ。

 そのうち、フェリーは金角湾を出て狭い海峡を抜け、ルースキー島の港に着いた。港と言っても船着き場以外に何もないところで、そこで降りたのも私たちのツアー客だけだった。

 ルースキー島は、ウラジオストックのあるムラヴィヨーフ・アムールスキー半島の南に位置し、ちょうどウラジオストックに蓋をするような位置にある島だ。(下図)

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 上の画像では、ロシア島と記されている島がそうで、これをロシア語読みでルースキーになる。

 港にはルースキー島のガイドが出迎えていた。(下図)この人の名前をメモしておかなかったので忘れてしまったが、この人はロシア語しかできないので、説明は全部ガイドのオリガさんが日本語に通訳してくれた。

(ルースキー島のガイド)
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(オリガさん)
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 港からちょっと離れたところにバスを待たせてあるというので、そこまで歩いていったが、その道は狭く舗装されていない泥道だった。その上、片側は崖になっていて、下は海だった。
 これでは、バスのような大型車は通れないなと納得しながら5分ほど歩いて行くと、この島で一番(?)のバスが待っていた。(下図)

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 このバスの年式がどれくらいか判らないが、かなりの年代物のようだった。乗り込むとビニール製のシートは、どこも破れていて、フロントガラスには大きなひびが入っていた。日本ならとっくに廃車になるような代物だが、ロシア人は気にせず使っているようだ。

 このおんぼろバスに乗り、ルースキー島要塞跡を見に行った。バスはルースキー島のメインストリートだと言うでこぼこ道をかなりのスピードでぶっ飛ばして行ったので、かなり揺れた。
 この道は以前ソ連軍が駐留していた頃は軍が整備していたそうだが、軍が島を去ってからは、整備するものがいなくなり荒れ放題になっているそうだった。
 途中、100年ぐらい前に建てられたという廃墟があった。(下図)

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 100年前なら日露戦争の頃だが、この島にはそういう廃墟が多数あるそうだ。

 そして、バスはどんどん山道を進んでいき、ここからはバスは入れないというところで、降りて歩きとなった。
 こんな所まで来て、山歩きをする事になるとは思わなかったが、ガイドについて林道を上っていった。ここでもダニ(下図)に注意するようにとガイドからアナウンスがあったが、言っている本人が素足にサンダル履きなので説得力がない。

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 道すがらルースキー島要塞の解説があり、ここは19世紀末にウラジオストック市が建設された後、その防衛の要衝として、このルースキー島に要塞が築かれた。
 今では木や草で覆われて判らないが、この山には2重の堀があり、敵が攻めてきたときには、堀に落ちた敵兵を側射する火点の跡があちこちにあるそうだ。(下図)

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 そうして山道の上には要塞の廃墟があった。(下図)

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 要塞は、その昔に見た映画「203高地」に出てきた旅順要塞の作りに似ていた。ここでツアー客の1人から、この要塞はどこの国の侵攻に備えてのものかという質問があったが、ガイドの話ではイギリスに対して建てられたとのことだった。また、この要塞は実際に攻められたことがあるのかとの質問もあったが、それは無いと言っていた。

 要塞の中は、既に何もなく昨日の雨で雨水が入ってきていた。外壁に並んでいた銃眼を中から見ると、厚い壁に大きく穿たれていた。(下図)

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 日本の城の矢狭間に似ているが、壁が厚い分だけ内側を大きくしないと射角が取れないのだろう。
 また、既に扉は無くなっていたが、全てのドアは木製と金属製の2重扉になっていたそうだ。(下図)

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 それでも、冬季は寒気が入ってくるらしく、室内には巨大なペチカがあった。
 そして要塞の外に出ると、外壁にイコンがあった。(下図)

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 イコンは、ギリシア正教で崇拝されるキリストなど聖者の像や聖伝の場面を描いた聖画像で、当時ここに駐留していたロシア兵の精神的支柱だったようだ。

 この要塞跡の一番高いところから海が見えた。(下図)

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 向こう岸は、ウラジオストックのあるムラヴィヨーフ・アムールスキー半島で、狭い海峡を一望できた。確かにここはウラジオの要衝だ。

 そうして、一通り要塞跡を回った後、山を下り、再びバスに乗った。次はルースキー島内に深く切り込んだ入り江の向こう岸まで迂回し、昼食の後、別の要塞を見るそうだ。

 (続 く)

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November 06, 2005

11月6日 築城基地航空祭

 11月6日、築城基地航空祭を見に行った。この日は前夜からの雨のため天候が曇りがちの上、事前にブルーインパルスが来ないことが判っていたので、あまり期待していなかったが、F-1支援戦闘機最後の航空祭ということなので、行ってみることにした。

 懸念したとおり、この日は雲が低く、飛行展示も中止になるかと思ったが、なんとかこれは行われた。
 ただし、終始雲の中を飛んでいるような視界の聞かない中で行われた高機動演技は、パイロット達も怖かったのではないかと思う。

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 また、地上展示を見てみると、今年はブルーインパルスだけでなく常連の米軍機が1機も来ていなかいという非常に寂しいものだった。
 その中で、特別塗装をされたF-1が目を引いた。(下図)

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 このF-1の側面などには、これまでの歴史を物語る塗装があった。(下図)

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 上の画像でも判るが、F-1支援戦闘機は、昭和52年から青森県三沢基地の第3飛行隊を皮切りに配備が進められ、この築城の第6飛行隊には、昭和55年にそれまでのF-86Fから機種転換が行われた。
 そして、唯一の国産戦闘機として活躍したF-1も、さすがに寄る年波には勝てず、ついにF-2へ交代となった。

 他の飛行隊は既に機種転換を終えているが、ソ連邦崩壊後は北海道への侵攻は考えられないので、三沢基地より当面の敵と思われる北朝鮮に近い築城基地にF-2を優先配備するべきだと思うのだが、政治的配慮からか、結局最後になってしまった。


 特別塗装以外のF-1は、いつもならブルーインパルスのT-4が居るところに、並んで止められていた。(下図)

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 また、F-1以外の地上展示は、新田原基地から来たF-4EJとRF-4E、築城基地のF-15J、F-2などがあった。(下図)

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 この他、パトリオットや短SAMなどの対空火器の展示もあった。(下図)

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 これらを一通り見終わった頃、F-1の飛行展示があるとアナウンスがあった。見に行くと、並んでいたF-1のエンジンを始動し、飛び上がっていった。

 やはり雲が多いせいか、上がっていったF-1が、普段なら5分もしないうちに基地上空に現れるのに、なかなか現れなかった。
 待つことしばし、そこら辺にいたガキが、「飛行機落ちちゃったんじゃないの?」など物騒なことを言っている中、アナウンスがあり、F-1が現れた。(下図)

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 この時は残念ながら編隊飛行の後、すぐに降りてきた。午後から対地攻撃の展示を行うとアナウンスしていたが、この後、雨が降り出したので、午後は飛行中止になるのではないかと思い、ここで引き上げることにした。

 築城基地航空祭は、例年好天に恵まれるのだが、今年はめずらしく雨に祟られた。このため、人の入りが少なく、ゆっくりと展示を見ることができただけが幸いだった。

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November 13, 2005

9月18日 海外紀行 ウラジオストック その5

 バスで移動中、山の中腹あたりに砲台が見えると説明を受けた。(下図)山の真ん中当たりに何か映っているが、これが何かは後で画像を拡大してみないと判らなかった。

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 そうしてバスに揺られてしばらくたった頃、途中にあった海事学校でトイレを借りた。その時、1台の車が通りかかったが、そのドアには日本語の文字が書いてあった。(下図)

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 ウラジオ市内では、佐川急便の塗装がそのままのトラックを見かけたが、いくら日本の中古車を多数輸入していると言っても、営業用の塗装をそのままにしてるとは、ロシア人はこれらの塗装を模様とでも思っているのだろうか?

 そして、再びバスに乗り、ルースキー島の反対側にある要塞に着いた。ここには巨大な砲台があった。(下図)

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 この砲台は、戦艦から降ろした砲塔をそのまま持ってきたそうで、クレーン車など無い当時、こんな山奥までどうやって運び込んだのだろう。

 この砲台から少し離れたところに、もう1基同じような砲台があった。(下図)

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 バスの中から遠目に見えたのは、こっちの砲台のようだ。
 この砲台の手前に下に降りる階段があり、そこから要塞内部に入れるようだ。そこにはソ連邦時代の物と思われるプレートもあった。(下図)

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 1933とあるが、これは1933年(昭和8年)にこの要塞が作られたと言うことなのだろうか?

 階段を下りると、一段低い所に出ると、そこに建てられていたで昼食となった。昼食はバーベキューとのことだった。
 やはりここでも、黒パンとじゃがいものスープが出てきた。その他の内容は下図の通り。

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 食事が終わった後、砲塔内に入れるというので、入って中を見ることにした。
 ガイドが砲塔後面の重厚な扉を開けて中に入ったので、それに付いていくと、砲塔内は裸電球が数個で照らされた薄暗いところだった。(下図)

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 ガイドは、この要塞砲に関する説明をしながら、砲の尾栓を開けて装填の過程を見せてくれた。(下図)

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 その説明によると、この要塞砲は4階建ての構造になっていて、1番下から2階が弾薬庫で、その上が揚弾装置の機械室となっているそうだった。今では全ての機械類が取り払われているので、下まで素通しになっていた。(下図)

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 下から弾頭と薬嚢が揚げられ、砲に装填されると、尾栓にライフル弾のような点火栓を詰めて、これを撃発することにより、砲は発射されるそうだ。
 この過程は、この砲が元々が艦船砲なので、映画「沈黙の戦艦」であったシーンを見ていただければ判ると思う。
 注意点として、撃発に使用した薬莢は取り出す際、すぐ下に手網を置いて受けることだと言っていた。そうしないと、もし下の弾薬庫に落としてしまうと、空薬莢が機械の間に挟み込んで故障の原因になるし、最悪の場合、火花が飛んで火災が起こることもあるとのことだった。

 ここで質問を受けるというので、この砲はまだ撃てるのか聞いてみた。そうすると、ソ連邦崩壊の祭、KGBの命令で、この要塞を廃棄する時に撃てないようにしたとのことだった。
 観光名所にするぐらいだから当然のことだが、ウラジオに迫り来る某紅い国の部隊に、付近に住む元軍人達が、この要塞砲を撃って撃退するというシナリオは成り立たないようだ。
 この他、この砲の口径はどのくらいかと言う質問も出たが、28センチとのことだった。

 砲塔から出ると、外に若い金髪の御婦人とロシア正教の僧服を着た数人の人がいた。オリガさんによると、この御婦人は沿海州政府知事の夫人で、フランス人だそうだった。
 ルースキー島の観光に来ているところ、偶然、この要塞跡で行き会わせたらしい。すぐ僧服の人たちと砲塔内に入っていったので、見たのはこの時だけだった。
 さすがに写真を撮るわけにはいかなかったので、画像が残っていないのが残念だ。


 要塞砲を見終わると、再びバスに乗り、帰りのフェリーに乗るため波止場へと向かった。しばらくバスに揺られていると、来たときとは違う波止場に着いた。
 すると、出港時間まで、まだ10分ぐらい余裕があるのにフェリーが出ようとしていたので、大慌てで乗り込んだ。

 船に乗る祭、船員が“ダバイ!ダバイ!”と言っていた。その時は何の意味か判らなかったが、後から調べてみると、どうやら急げと言う意味のようだ。
 辞書で引くと、ダバイの意味は「~しましょう」とあった。英語ならLet’sに相当する言葉だろう。ところが“ダバイダバイ”と連呼すると、急げ急げという意味になるらしい。
 このツアーに参加していたシベリア抑留経験のあるおじいちゃんも、収容所での作業中に監視兵から“ダバイダバイ”と言われていたとのことだった。このことからも、あまり上品な言葉ではないようだ。


 船に乗り込むと、まさに満員電車のような状態で、通路や甲板にまで人がぎゅうぎゅう詰めに乗っていた。
 船そのものは、若戸渡船のような小型の渡し船(下図)で、完全に定員オーバーだろう。

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 同じツアーの人も言っていたが、こんなに乗せたら絶対に救命胴衣が足りないので、日本なら違法行為のはずだ。しかし、ここはロシアで日本の法律や常識は通用しない。ウラジオ市内まで無事に着いてくれることを祈るしかないようだ。

 しかし、同じツアーの60代ぐらいのおばちゃん達は、こんな状況が判っていないようで、隣にいた同じぐらいの年代と思われるロシア人のおばちゃんを捕まえて、旅行代理店からもらったロシア語会話の手引きを見ながら、ズドラストビーチェと言って交流を図っていた。
 無邪気というか、たくましいというか、知らぬが仏とはこのことなのだろう。

 そうして、30分ぐらいの後、なんとかウラジオストック港に着いた。この日のルースキー島散策ルートは、下図の通り。

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 ①に上陸し、②、③と要塞跡を見て、④でウラジオに戻る船に乗った。細長い湾をバスでぐるっと廻ったわけだ。


 ウラジオストック市内に戻ると、再びバス(これはまともな物だ)に乗り、次の観光場所アレセニエフ郷土史博物館へと向かった。(下図)

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 博物館には駐車場がなく、見学終了後に再度合流ということで、私たちを降ろすとバスはどこかに行ってしまった。
 道路に面した、上の画像の入り口から入るのかと思ったら、この入り口は工事中で入れない、別の所から入ると説明があった。
 少し歩いて、歩行者天国の通りに面した入り口から入った。(下図)

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 博物館の中に入ると、誰だか判らないが、ウラジオの偉人だろうと思われる人物の胸像があった。(下図)

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 台座に名前が書いてあるが、ロシア語なので読めなかった。

 すぐに2階に上がっていくと、そこはウラジオの歴史に関する展示があった。
 ウラジオストックは、当時の清国との間で結ばれた、ネルチンスク、キャフタ、アイグンの各条約で、次々と極東地域の利権を手に入れたロシア帝国が、アロー号事件の解決を仲介した代償として、北京条約によりウスリー川以東の沿海州を手に入れた際に建築された。下図は、本物のアイグン条約の書類だと言っていた。

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 ウラジオストックの歴史は、ここから始まったという意味なのだろう。別の壁にはウラジオストックのあるムラヴィヨーフ・アムールスキー半島のレリーフがあった。(下図)

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 展示物に書かれている説明書きの文字が読めれば、もっとおもしろかったのだろうが、残念ながらロシア語のみだったので、ガイドの説明を聞くしかなかった。

 別の部屋には、昨日行った浦塩本願寺についての展示があった。(下図)

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 仏壇と当時の写真が数枚、これだけがこの地に日本の寺院あった証だ。

 別の部屋に行くと、シベリアの自然についての展示があった。(下図)

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 シベリア狼やアムール豹などの剥製が展示されていたが、これらの動物も乱獲と環境破壊のため、今では少なくなってしまったそうだ。

 この他、第二次世界大戦についての展示が大量にあった。展示には、戦況についてのものと、鹵獲した個人装備があった(下図)

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 上はベルリン攻防戦の様子について書いてあるようだが、ロシア語で書いてあったので、何と書いてあるのか判らなかった。
 当然と言えば当然のことだが、極東の戦況についての展示もあった。(下図)

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 上は満州および千島列島へのソ連軍の侵攻図だ。この一連の軍事行動後に行われたシベリア抑留は、重大な戦争犯罪行為だが、戦勝国にとっては誇らしげに博物館に展示することなのだろう。

 これらの展示の他に、いろいろと武器が飾ってあった。(下図)

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 映画などでおなじみの水冷式マキシム機関銃などの装備もあったが、機関銃を装備したオートバイ(サイドカーではない)のは、どうやって撃ったのだろう。

 これらの展示を見終わった後は、イグナットショッピングセンターに土産物漁りへ行った。(下図)

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 添乗員の話では、ウラジオストック空港の免税店は小さく、大した物は置いていないので、おみやげはここで買った方が良いとのことだった。
 一通り見たが、特にこれという物は無かったのため、食品売り場でのど飴を買っただけにした。(下図)

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 しかし、こののど飴は、袋の絵からクールミント味だと思ったが、やはりロシア製らしく、その味は大味でミントがきつく、日本の物と比べようがなかった。

 イグナット・ショッピングセンターでの買い物が終わると、一旦ホテルに戻り、荷物を置いてから、フォキナ通りを散策し、夕食にいくことになった。

 フォキナ通りは、その昔日本人街のあったところで、今でもその町並みは保存されているそうだ。(下図)

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 私は興味なかったが、ここでは、スマップの草なぎ剛主演の映画「ホテルビーナス」のロケも行われたそうで、ここにある建物も映画に出ていたとのことだった。(下図)

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 そうして散策を終え、バスに乗り、夕食会場のレストラン「ポルト・フランコ」へと向かった。(下図)

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 ここでは、夕食を食べながらロシアの歌と踊りのショーが見ることができる。この店で出された料理は下図の通り。

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 やはり、ここでもジャガイモのスープが出てきた。ロシアの主食だから当然だが、これだけジャガイモを食わされると、飽きてくる。

 食事の途中、ビッグママといった感じの歌い手が現れ、ロシアの歌を披露した。(下図)

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 歌が終わると、民族衣装を着た若い店員が出てきて、踊り始めた。(下図)

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 そうして、ビッグママの歌と若い店員の踊りが交互に続いた。そのうちビッグママは、私たちのツアー客と踊り始めた。(下図)

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 最後は、カチューシャを日本語で歌いながら、大勢で輪になって踊り、フィナーレとなった。(下図)

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 食事が終わると、バスでホテルに戻るはずだったが、店からあまり遠くない所で人気バンドのコンサートがあっているとのことで、車と人が至る所にあふれていたため、バスは店まで近づけないそうだった。
 一体、どんなバンドのコンサートなのか気になったが、ガイドのオリガさんも最近の音楽には疎いそうで、何のコンサートか判らなかった。

 ホテルまで遠くないので歩いて帰ろうかと思ったが、バスが少し離れたところで待っているそうなので、そこまで歩くことになった。

 街灯のない細い道を抜けて、大通りまで歩いた。とはいえ、コンサートの影響で、こんな道でも人通りは多く、ぶつからないように気を付けて歩かなければならなかった。

 そして5分ほど歩いて大通りに出ると、そこでバスが待っていた。バスに乗って数分でホテルに着いた。これならホテルまで歩いても、まったく問題がなかった。

 そうしてホテルに戻ってみると、この日もまた10時ぐらいになっていた。コンサートの影響か、街の小さなキオスクは開いていたが、どこも人集りがしていて、とても買い物ができる状態ではなかった。
 仕方がないので、この日もNHKのBSでニュースを見てから寝ることにした。こうして、あわただしいウラジオストック3日目が終わったのであった。

(続 く)

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November 14, 2005

9月19日 海外紀行 ウラジオストック その6

 最終日の朝、この日も6時に目を覚ました。身支度をして7時ジャストに食堂に行くと、昨日同様白髪の爺ちゃん婆ちゃんが大勢来ていたが、なんとか空いている席を見つけ確保した。

 爺ちゃん婆ちゃん達はその後も増え続け、私の席も品の良さそうなお婆ちゃん2人と相席になった。1人が“Can you speak English?”と尋ねてきたが、私の英会話レベルでは、相手の言っていることが聞き取れないだろうから、肩をすくめて見せて、“判らない”と伝えた。

 食事が終わると、8時30分の出発までまだ時間があったので、ホテル内を少し探索してみたが、まだ時間が早いので、売店の類は開いてなかった。とりあえず、この数日の住処だったヒュンダイホテルの外観を撮った。(下図)

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 ウラジオストックで1番のホテルだけあり、玄関前の旗竿に各国の国旗が揚がっていた。これだけの国から常時お客があると言うことだろう。

 そんなことをしている内に時間が来て、出発となった。ウラジオストック空港までバスで1時間ほどかかる。ちょっと早いが、11時出発の飛行機に乗るには、これぐらいに出るほうが余裕があって良いのだろう。
 この日は月曜日で、日本は祝日だがロシアは平日だった。その上、丁度通勤の時間帯なので街中も市街を出てからも車が多く、始業時間に遅れているのか、ほとんどの車が猛スピードで走っていた。
 対向車が見えたと思ったら、後方に消えていく様子に恐怖を感じながら、他方に目を移すと、日本ではお目にかかれないトロリーバスが走っていた。
 残念ながら、この時カメラを用意していなかったので撮り損ねた。しかし、この珍しい乗り物には、機会があれば1度乗ってみたいものだ。

 そうして、何とかウラジオストック空港に着いた。正面から空港にはいると、突然バスがUターンして、一度外に出て、空港の横手の方から再度入っていった。

 「ローシア、恐ろしーあ」

 その時、ガイドのオリガさんが、オヤジギャグを言った。まさか外国人がそんなことを言うとは思ってもみなかったので、一瞬凍り付いたが、その後ツアー客のおじさん、おばさんたちには大受けだった。

 その後の説明によると、このバスのUターンは、この時空港に沿海州知事が来ていて、警護のために一般車両が立ち入り制限されていたためだそうだ。

 いかに偉いさんとは言え、一般の空港を立ち入り制限して使うとは、この国はソ連邦時代と変わらず、政府要人は王侯貴族の扱いを受けているようだ。まったく恐ろーしい国だ。


 そんなことがあった後、何とか空港施設に入ることができた、10時からの出国審査までまだ時間があったので、空港ロビーにあった売店をのぞいてみた。
 特に欲しい物はなかったが、同じツアーの人が買い物をしているのを見ていると、何かトラブルになっていた。

 どうやら、この店ではルーブルしか使えないらしく、日本円やドルでの支払いを拒否されたようだった。
 その人は、それならクレジットカードでとカードを取り出していたが、これも拒否された。店の扉にVISAとMASTERのマークがあったのだが、どうやらこの店員が、カードの機械を使えないらしく、ルーブル以外は受け付けようとしなかった。

 すると、その人は私に、「あんたルーブルを持ってだろう、それをくれ」と言ってきた。
 両替してくれなら判らないでもないが、いくら何でも家族や親しい友人でもない人に現金をくれてやる理由はないので、それは断った。

 そうしていると10時を過ぎ、そろそろ出国審査が始まるかなと思っていると、なかなか係員が来ず、施設も電気が消えたままだった。(下図)

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 自分の時計が狂っているのかなと思い掲示板を見ると、いつの間にか出発時間が変わっていた。(下図)

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 さっき見たときは11時だったのが、11時45分になっていた。ガイドのオリガさんも今気づいたようで、これはアナウンスも無かったらしい。
 電車や船だけでなく、ここでもロシアンタイムは健在のようだ。

 それなら出国審査だけでもしてもらいたいと、オリガさんに聞きに行ってもらったが、空港係員は、「ちょっと待て」としか言わないそうだ。


 そうして待たされること30分ほど、10時45分に係員が来て出国審査が始まった。審査そのものは特に問題なく終わり、手続きの上ではロシアを出て中立地帯に来たわけだ。

 最後のみやげもの漁りに免税店に行くと、昨日言われたとおり確かに小さい店で、酒とタバコと香水とチョコレートぐらいしか置いていなかった。(下図)

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 その上、この店は値段がユーロ表示だったので、日本円でいくらか判らなかったので、本当に安いのかどうかも不安だった。
 ある人が1ユーロ140円ぐらいと言ったので、だいたいの値段が判り、みやげ用にチョコレートを買うことにした。せっかくだから酒も買って帰るかと思い棚を見たが、オールドパーが無かったので、がっかりした。
 仕方がないので、せっかくロシアに来たんだからウォッカでも買って帰るかと思い、棚を見ていると、同じツアーの人が、これが良いよとあるものを勧めてくれた。(下図)

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 これは、フィンランディアという大麦を原料にしたもので、その名の通りフィンランド製のウォッカだ。
 ロシアに来てフィンランドの酒を買うのはどうかと思ったが、どれが良いのか判らないので、これを1本買うことにした。結果から言えばこれは正解で、なかなかうまかった。これなら制限一杯まで買えば良かったと後悔した。

 そうして搭乗の時間となり、飛行機に乗り込んだ。
 飛行機は来るときと同じYK-40だったが、機体は違う物のようだった。

 席に着き手荷物を椅子の下に入れると、程なく飛行機はウラジオストック空港を飛び立った。
 北九州空港までノンストップで約3時間、これなら一眠りはできるかなと思っていたら、突然機内に暖房が入り、足下から熱風が吹き出してきた。

 あまりの暑さにスチュワーデスに文句を言ったが、暖房を止めることはしなかった。椅子の下の荷物が気になったが、隣に人が座っているので、荷物を取り出すことができなかった。
 30分ぐらいして、隣の人がトイレに立った時に足下に置いた荷物を引っぱり出し膝に抱えたが、みやげもののチョコレートは全滅に近い状態だった。

 この他にも、スチュワーデスの不手際が起こり、私の後ろの席ではコーヒーをこぼされて、新しいズボンに染みがついたと怒っていた。
 このように帰りのフライトは、ロシア人の大雑把さだけが目立ち、一言で言えば、最悪だった。

 そんなことがあった後、なんとか北九州空港に降り立った。

 到着口でスーツケースを受け取ると、出発ロビーの方に臨時で設けられた入国審査所でパスポートの検査を受け、臨時の税関で持込物を申告し、やっと空港ロビーへと出ることができた。

 空港ロビーには、次のツアー参加者が搭乗を待っていた。旅行代理店の人たちも来ていたので、お世話になった礼を言い、空港を後にした。

 今回の旅行は、いろいろと不手際もあったが非常に興味深い体験ができた。特にこれまでは間接的にしか知ることの無かったロシア人の気質を知ることができたのは、大きかった。
 また、日本では当たり前の公共交通機関が時刻通り動くということが、いかにすばらしいことか実感できた。

 今回は時間に追いまくられるような感じで見て回ったので、もっと見ていたいところが数多く残ったので、機会があれば、またウラジオストックを訪れたいものだ。
 その時に備えて、多少はロシア語の勉強もしておくことにしよう。

(終わり)

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January 02, 2006

12月17日 「田河水泡・のらくろ館」その他

 12月17日、航空会社のマイレージが、国内線1往復分無料になるだけ貯まったので、東京に行くことにした。
 本当はもっと良い季節に北海道あたりへ行きたかったところだが、12月末までに使わないとポイントの大半が流れてしまうので、この時期はスキー客で予約の取れないだろう北海道はあきらめ、便数の多い東京にした。
 当初、この機会に東京近辺に住む友人の家を訪ねてみようと思ったが、この時期は忙しくて無理と断られたので、都内でまだ行っていない所へ行ってみることにした。

 そうして決めた今回の目的地は、深川にあるという「田河水泡・のらくろ館」、某首相ではないが毎年1度は訪れる「靖国神社」、ガンダム展が行われている「上野の森美術館」にした。
 当然ながら、これには神保町の古書店巡りと水道橋のメビウスなどゲーム屋巡りも含まれている。


 この日、狙いすましたように時季はずれの大寒波が到来し、飛行機が飛ぶのか危ぶまれたが、私の乗る飛行機は何とか飛んでくれた。
 しかし、後のことを考えて空港まで自分の車で行くつもりだったのが、それができなくなったことが誤算だった。


 羽田に着くと、モノレールと地下鉄大江戸線を乗り継いで、森下駅で降りた。「田河水泡・のらくろ館」は、ここから徒歩8分の所にある江東区森下文化センター内にある。

 そうして歩いていくと、交差点にのらくろの看板を発見した。(下図)

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 そう、森下文化センターのある通りは、高橋(たかばし)のらくロードと名付けられ、のらくろが町おこしを担っているのだった。
 このため、道の両側にある商店などは、のらくろの看板が随所にあった。(下図)

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 のらくろだらけの通りを抜けていくと、森下文化センターに着いた。(下図)

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 中に入り、案内図に沿って行くと、巨大なのらくろのぬいぐるみが出迎えてくれる「田河水泡・のらくろ館」があった。(下図)

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 ここには、今は亡き田河水泡氏の略歴や師弟関係、出版された本などの他、遺族から寄贈された原稿や仕事机など、遺品の数々が展示されていた。(下図)

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 故田河水泡氏は、その伝記「のらくろ一代記」(下図)によると少年期から青年期の間、深川(今の江東区)に住んでいたそうだ。

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 このことから、のらくろは“こうとう文化親善大使”となり、江東区のシンボルとなった。(下図は配布されていたリーフレット)

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 水木しげる氏の出身地の境港市でも水木しげる妖怪ロードを作り、観光の目玉となっているように、その土地ゆかりの漫画家のキャラクターが、町おこしの一環として一役買うのが多いようだ。

 また、この「田河水泡・のらくろ館」では、のらくろについての本も多数揃えていて、復刻版の単行本も自由に閲覧することができるし、その昔テレビ放映されていたのらくろがビデオ上映されていた。
 もし私がこの近くに住んでいたなら、休みのたびに通いたくなるような所だ。


 その他、この時はこれら常設展示の他に“戦後60年平和祈念企画「漫画・挿絵で見る戦争」”が特別展示されていた。(下図)

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 ここでは、「のらくろ」をはじめとする戦前戦中の漫画や絵画だけでなく戦後の漫画、松本零士氏の「戦場漫画シリーズ」や、かわぐちかいじ氏の「ジパング」なども展示されていた。
 絵画も戦争の悲惨さをテーマとした空襲や焼け跡のものが多かったが、それと並んで私の好きな故小松崎茂氏の絵もあった。(下図)

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 残念ながら、この他に私の好きな画家、高荷義之氏や小林源文氏の絵はなかった。展示には何か基準があるのだろうか。

 一通り見終わったので、森下文化センターを後にした。地下鉄駅までの道すがら、のらくろの看板のある店を何軒かのぞいてみて、その内の1軒で“のらくろ煎餅”を購入した。(下図)

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 煎餅5枚で420円は、高いと言えば高いが、観光地ではもっと高いキャラクター商品もあるので、まあこんなものだろう。


 その後、地下鉄で九段下駅まで行き、靖国神社を参拝した。(下図)

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 ここは、出張などで東京を訪れる時、時間があれば参拝している。時期によっては、サングラスに黒服や迷彩服を着た右翼の連中がうろうろしているが、この日はその手の連中はいなかった。

 大鳥居をくぐり参道を進んでいくと、靖国名物の1つ大村益次郎の像が建っている。(下図)

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 大村益次郎は明治維新の際、長州軍を勝利に導いた指導者の一人だが、東京招魂社(靖国神社)創建の立役者の一人でもあることから、銅像が建立されたと像にあった説明書きに記されていた。
 大村益次郎の像を通り過ぎて進むと、神社の中を横断する道路の手前に売店がある。(下図)

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 右側の店で、あるものが売っているとネットの噂で聞いていたので、それが今もあるか見てみた。(下図)

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 あった。これが噂の「純ちゃん黒糖改革まんじゅう」だ。これは帰りに買うことにして、先に進んだ。
 道路を渡ると、また鳥居があり、その左手に手水鉢がある。ここで手を洗い、口を漱いで、大門の奥にある拝殿へと進んでいった。(下図)

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 大門を抜けると、正面には拝殿がある。この奥には本殿があるのだが、そこには一般の参拝客は入れないので、ここで参拝する。参拝の作法は、二礼二拍一礼の神式だ。(下図)

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 また、拝殿前の鳥居から右に行くと、靖国神社の付属の博物館「遊就館」がある。(下図)

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 遊就館には、靖国神社に奉納された絵画や遺影、装備品などが展示されている。
 今から10年以上前に初めて訪れた時は、展示品の撮影は自由だったが、今では入り口に展示してある零戦(下図)の他、数点のみ撮影可能とされていた。

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 このほか、遊就館の外には、戦没した動物の慰霊碑が建っていた。(下図)

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 ここ靖国には英霊達だけでなく、英霊達と苦楽を共にした動物たちも祀られているわけだ。他の民族で、動物まで手厚く弔う民族はほとんど無い。
 手前勝手な暴論を振り回す外国の動物愛護団体に、“おまえらは、動物達にここまでしているのか!”と、聞いてみたいものだ。


 靖国参拝後、歩いて神保町に向かう。三省堂、書泉などの新刊書店の他、古本屋の十字屋書店と文華堂などを見て回った。
 特に欲しい物は見あたらなかったので、水道橋まで歩き、メビウスをのぞいてみたが、ここも特に目新しい物は無かった。

 その後、水道橋駅からJRで次の目的地の上野へと向かう。途中、秋葉原駅で総武線から山手線へ乗り換えたが、以前と駅の構造が変わっていたので、とまどってしまった。


 上野駅で電車を降りて、「ガンダム展」の行われている上野の森美術館へと歩いて行った。あちこち回った後なので、既に日暮れ近くなり、辺りは薄暗くなってきた。
 途中、ホームレスが数人うろついていたこともあり、ちょっと気味の悪いところだなと思いながら、進んでいった。

 そうして歩くこと数分後、上野の森美術館に着いた。(下図)

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 思った以上に人が来ていて、入り口には混雑していた。とりあえず、無料ロッカーに荷物を入れて、チケットを買い、中へ入った。
 残念ながら館内は撮影禁止だったので、中を撮ることはできなかった。

 中に入ってすぐ、有料音声ガイドの貸し出しブースがあり、どうしようかと思ったが、話のタネに借りることにした。
 入場料1300円に音声ガイドの賃料500円で併せて1800円掛かった。映画1本を割引なしで見たのと同じ額なのは、主催者がこれくらいなら出すだろうという計算の上の値段設定なのだろうか。

 この音声ガイドは、携帯電話を一回り大きくしたような本体とヘッドホンから成り、主要展示物の所で示された番号のボタンを押すと、展示物の音声解説を再生するものだ。音声はアムロ役の古谷徹氏だった。

 そうして中を見て回ったが、原寸大コアファイターや巨大セイラ像など、目を引く物はあったが、そのほかは期待はずれの物が多かった。

 爆発の閃光やアムロの直感を表現する稲妻(ピキューン)の立体模型など、こんなものを作って何がおもしろいのかと思ったし、フラナガン機関ラボという展示ではニュータイプテストと称して、カードの透視もどきをやっていた。
 これは、その昔「電波少年」でやっていたのと、あまり変わりがない。

 これらは、いわゆるガンダム世代の芸術家達の作品というのだろうが、残念ながら私の趣味には合わなかった。
 せめて安彦良和氏や大河原邦男氏の絵でも展示されていれば、まだ良かったのだが、それらは一切無かった。

 展示を見終わった後、出口にあった売店でパンフレットが売っていた。どんなものか見てみると、「ガンダム展」の展示物の写真が載ったハードカバーの本だった。
 いくら装幀が良いとはいえ、こんなものに2800円も出す気にはなれないので、買わずに外に出た。

 出口を出たところに、このガンダム展で唯一、撮影可の展示があった。(下図)

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 これは、ガンダムの産みの親、富野由悠季監督制作のザクに囲まれたガンダムの立体像で、監督初の立体作品だそうだ。


 これらを見終わった後、出口に産経新聞の号外が、ご自由にお持ちくださいと山積みにされていたので、1部持ち帰った。(下図)

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 この号外が、このガンダム展で唯一にして最大の収穫物のようだ。

 日が暮れて辺りも暗くなってきたし、荷物を持って歩き回ったので、だいぶ疲れてきたため、この日はこれで切り上げて宿に行くことにした。新宿のイエローサブマリンにも行ってみたかったが、宿とは方向が違うので、あきらめた。

 結局、この日の収穫は、先に述べた物の他は、下の通りとなった。これらは全て靖国神社の売店で入手した。


(純ちゃんの黒糖改革まんじゅう)
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 以前ネットで見つけた、いわゆる一発ネタものだが、どんなものかと思い買ってみた。しかし、裏の絵に書いてある敵って一体誰のことだ?

(紀宮清子さま御成婚記念饅頭)
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 これはノーマークのものだった。時期の物なので、次に来たときには、もう無いだろうから、これも買っておくことにした。

(帝國陸軍携帯口糧「金平糖」)
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 「海軍コーヒー」。「海軍カレー」に続く旧軍物だ。当時陸軍の兵士は野戦食として乾パンと共にこれを支給されたらしい。


 とりあえず、今回の収穫はこれだけとなった。明日は、朝からとんぼ返りで戻ってウォークライに参加の予定だ。

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January 09, 2006

12月25日 尾道 戦艦大和実物大セット

 12月25日、尾道にある映画「男たちの大和」の撮影で使われた戦艦大和の実物大セットを見に行った。

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 これは、7月から公開されていたが、実際に映画を見てからの方が良いと思ったので、この日となった。
 今回も少しでも旅費を安く上げようと、青春18きっぷで行ったので、移動時間が片道7時間近く掛かってしまった。

 昼頃着いた尾道駅には、当然の事ながら映画「男たちの大和」の宣伝が掛かっていた。(下図)

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 駅にあった地図で確認すると、目的地は海を隔てた向こうに浮かぶ、向島という島にあるらしい。(下図)

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 尾道駅の“みどりの窓口”で、向島までの往復渡船とセットになった入場券が500円で売っていたので、これを購入した。
 入場料は500円だから渡船の料金分だけ得したわけだが、後から別の意味で後悔することになった。

 駅前の陸橋を渡船乗り場まで歩いていくと、対岸の様子が見えた。(下図)

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 巨大なクレーンが林立している所が目的地だ。
 事前にネットで調べていたが、この大和実物大セットは、日立造船の造船所跡のドックに作られているので、大型クレーンが随所に見られる。

 そうして渡船乗り場に着くと、そこも“男たちの大和”の宣伝で溢れていた。(下図)

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 既に船は出た後だったが、すぐに次の船がこっちに向かってきていた。渡し船は、船首と船尾には、上陸用舟艇のような開閉式のドアがあるもので、人と自転車を乗せる小型船だ。(下図)

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 この他に自動車を乗せる船も別の乗り場から出ていたが、それには人は乗せないようだ。

 尾道駅で買った入場券兼用の切符を船員に見せて船に乗ると、5分ほどで出港となった。
 吹きさらしの甲板に立っていたので非常に寒く、船の乗り心地はあまり良いとはいえないが、周りの様子を見ることができた。
 見ると目的地のセットが、どんどん大きくなってきていた。(下図)

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 こっち側からでは、“男たちの大和”の横断幕が無ければ、何か判らない。
 また、セットとは違う場所だったが、巨大なクレーンがあり、その下には日立造船の文字が見えた。(下図)

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 当然といえば当然だが、いかにも造船所に来たという雰囲気が漂っている。

 そうして、5分ほどの船旅の後、上陸した。向島の渡船場から歩いてすぐの所に造船所の入り口があった。そこからセットまでの無料シャトルバスが出ていた。(下図)

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 シャトルバスに乗ると、5分ほどでセットまでたどり着いた。バスを降りると、まず艦首部分にある菊の紋章から見ていった。(下図)

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 ここでは、係の人が自分のカメラと備え付けのデジカメの2つで写真を撮ってくれるサービスがあり、備え付けのデジカメで撮った写真は、入場口でできあがりを見せられて、買う買わないは自由となっていた。
 私はこのサービスを頼まなかったが、家族連れなどは、ほとんどの人が頼んでいた。

 艦首を見終わった後は、入場口で料金を払い左舷舷側にある階段へと進んでいく。私は切符を持っていたので、そのまま進んでいった。(下図)

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 さすが実物大だけあって、甲板へ上がる階段まではちょっと距離があった。歩きながら、こういう場合のBGMは何かなと考えてみたが、宇宙戦艦ヤマトの曲しか思いつかなかったのは、私がその世代だからだろう。
 映画“男たちの大和”を見ている時も、新兵乗り組みのシーンでは、その昔テレビで見た「宇宙戦艦ヤマト新たなる旅立ち」で徳川太助ほか新兵たちが乗り組んで来るシーン(「これがヤマトか、でっけーなー」と見とれていてボートをぶつけてしまうシーン)を連想してしまい思わず笑いがでてしまった。

 左舷に沿って歩いていると、下のような立て看板があった。(下図)

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 これにはセット公開の趣旨について書かれているのだが、やはり恒久平和への願いという言葉で締めくくられていた。今の日本の状況では、そう書かざるを得ないのだろう。

 階段を上がると、まず正面に25mm対空機銃の実物大セットがあった。映画で中村獅童や松山ケンイチなどが操作していたのと同じ型のものだ。(下図)

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 自衛隊祭などで、12.7mm機銃は見たことがあったが、それと比べると数倍大きい。
 また、立ち入り禁止のロープに、この機銃についての解説があった。(下図)

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 機銃を見終わると、順路に従って艦首へと進んだ。(下図)甲板は木製で、本物は杉材だが、このセットは合板とチーク材でできているとの記述があった。
 また、見ると艦首マストには旭日旗が上がっていた。海上自衛隊でもそうだが、本来艦首には日章旗を上げて、旭日旗は艦尾に上げるのが正しい。
 これは、正しい知識を持たない人が演出しているのか、他に理由があってのことだろう。

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 そして、艦首に立ち、セット全体を見渡してみた。(下図)

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 やはり、第一砲塔の砲と艦橋上部がないので、違和感を感じたが、他の見物客との比較で、このセットの大きさがよく分かる。
 また、ここにもロープに解説が下がっていた。(下図)

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 これらのカタログデータは、その手の本に書いてあるが、こうして実物大で見ると、大和がどれだけ大きかったかがよく分かる。

 そして、順路にそって右舷側を艦首から砲塔部へと歩いていった。(下図)

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 第2主砲塔は丸々再現されているので、まあ見られるが、艦橋部がないので、見上げたときに違和感を感じた。
 ここにも解説の札が下がっていた。(下図)

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 このデータも本で読んだことがあるが、数字だけでは、やはりその巨大さは判らない。

 順路は、第1副砲塔と艦橋部の間を抜けて左舷側へと出るようになっていたので、それにそって進んでいくと、高角砲と機銃群の艦中央部へと出た。(下図)

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 左舷側は映画の舞台にもなったので、かなり正確に再現されている。何度も言っているが、画像の端に写っている人物と比べると、その巨大さが実感できる。

 また、写真や模型では判らなかったが、防盾付の25mm機銃がこのようになっていることも今回初めて判った。(下図)

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 防盾無しと比べると、断片や機銃弾に対しての防御力は格段に上だと言うことが判る。

 そうして一通り見終わると、艦尾の方から降りるのだが、そこでこのセットの裏側を見ることができた。(下図)

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 ハリボテとまでは言わないが、鉄骨とベニヤ板でできているのを見ると、やはりこれは映画セットだと言うことを再認識させられる。

 セットの隣には空のドックがあった。(下図)

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 最初、この映画セットのことを聞いたとき、造船所でそんなことをして大丈夫なのかなと思ったが、実際にシャトルバスで中を通ってみると、この向島の造船所は今では操業していない事が判った。どうやら、それが理由でここが映画セット設営場所に選ばれたようだ。
 セットのあるドックから、シャトルバス乗り場へと歩いていると、映画に関する資料展示場所があった。(下図)

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 中にはいると、そこには映画の撮影に使われた大道具や小道具などの映画に関する物の他、実際の大和についての建造から沈没までの歩みについてのパネルなどがあった。
 ここは撮影禁止だったので、画像を残せなかったが、映画を見た後でないと、それが何か判らない物もあるので、今回は幸い映画を見た後に来たので、その点は良かった。

 室内展示の場所の隣には、“圭ちゃん食堂”と売店があった。(下図)

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 ここでは、海軍で出していた味を再現したカレーが売りだそうだが、この時私は、尾道駅そばのラーメン屋で昼食を食べたばかりだったので、残念ながら食べられなかった。
 また、土産物も尾道の名産品ばかりで、大和について特にこれというものは無かったが、ここでしか手に入らないという携帯電話クリーナー(下図)だけ買うことにした。

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 こうして、一通り見終わった後、無料シャトルバスに乗り、入り口まで戻った。
 来たときと同じく、日立造船の敷地から渡船乗り場まで歩いていき、渡船に乗ると、ここでなんとチケットを取り上げられた。
 確かにもうその役割を終えたものだが、ここに来た証が1つ無くなってしまったことになる。
 これなら、往復の渡船代200円高くても、まともにチケットを買った方が良かったと、ちょっと後悔した。


 渡船を下りると、今回は映画セット以外に見たいものが無かったので、尾道駅から電車に乗り、また7時間近く掛けて家に帰った。尾道には正味2時間ぐらいの滞在だった。

 後で判ったが、向島の隣には因島というヒカルの碁で有名になった本因坊秀策ゆかりの地の島があるそうだ。
 また機会と時間があれば、そこにも行ってみたいものだ。

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May 06, 2006

5月6日 門司港 帆船 海王丸

 5月6日、この日一般公開された帆船“海王丸”をLock氏とともに見に行った。(下図)

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 門司港には毎年ゴールデンウィークに帆船が入港していて、この数年は日本丸が来ていたのだが、今年は久々に海王丸が来た。

 海王丸は4月27日から5月1日まで長崎帆船まつりに参加した後、門司港に寄港した。
 残念ながら以前から見てみたかった満帆の帆を張るセイルドリルは、昨日に行われたので見ることができなかった。

 この日、海王丸には帆は張られていなかったが、マストには鯉のぼりが上がっていた。(下図)

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 乗船する前に船首から外観を見ていったが、やはり一番目に付くのは船首像だ。(下図)

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 海王丸の船首像は、フルートを吹く女性像でWikipediaによると「紺青」と名付けられているそうだ。

 その後、左舷後方から乗船して各部を見て回った。後甲板で一番目立ったのは、やはり船尾付近にある舵輪だった。(下図)

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 画像では判りにくいが、舵輪の直径は人の背丈に近いぐらいある2重舵輪で、これが1回転すると1度舵の向きが変わるそうだ。

 船尾を見終わると、右舷を通って船内へと入っていった。船内へ降りる階段は、自衛隊の艦船に比べると幅が広く傾斜も緩やかの上、装飾が施されていた。

 船内では、航海士室など幹部船員の部屋の他、立派な食堂がが公開されていた。(下図)

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 自衛隊の艦船に比べてずいぶん立派だなと思っていたら、そこは船長他の士官食堂だった。士官食堂では階級や役職によって席が決められているのが、いかにもといったところだ。
 そうして、船内を進んでいくと、今度は広い部屋に出た。(下図)

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 ここは120人のが入る部屋とのことで一般船員用の食堂かなと思ったら、よく見ると壁に黒板もあり、教室とのことだった。
 海王丸は航海訓練所の練習船なので、この部屋では実習生の座学が行われるそうだ。また、この部屋は、やはり生徒の食堂も兼用とのことだった。

 その後、甲板に出て船首へと進んだ。船首からブリッジを見てみると、やはり帆船らしくマストが目立つ。(下図)

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 そうして、一通り見終わった後、船を下りた。下船後、岩壁に隣接して建てられている“海峡ドラマシップ”の所から全景を撮影した。(下図)

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 海王丸は全長110.09mもあるので、この場所からでも全部フレームに納めることは困難だった。
 そして、海峡ドラマシップを見た後、今度は船尾に回り、そこから撮影した。(下図)

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 この時気づいたが、船尾には日章旗が掲げられていた。政府機関である航海訓練所の船だから当然と言えば当然だが、自衛隊の艦船なら艦尾には旭日旗が揚がっているので、それと異なっていたのが新鮮だった。

 そうして、一通り撮影が終わった頃、雨が降り始めたので、引き上げることにした。
 自衛隊の艦船は毎年のように見ているが、帆船もなかなか興味深いものだ。また機会があれば、見に来たいものだ。

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May 28, 2006

5月27日 門司みなと祭

 5月27日、門司みなと祭では恒例の海上自衛隊護衛艦一般公開をLock氏と見に行った。(下図)

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 今年来ていたのは、佐世保地方隊所属の“はるゆき”だった。(下図)

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 “はるゆき”は基準排水量2950トンの「はつゆき型護衛艦」の7番艦として昭和60年に就役した護衛艦で、艦番はDD128(下図)

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 この日の公開は13時からなので、時間前に会場に行ったのだが、あいにくの天候で、まだ人影がまばらだったこともあってか、時間になっても乗艦させてもらえなかった。
 待つことしばし、ようやく乗艦が始まったので、艦内に入っていった。

 乗艦すると、まずは順路に従い前甲板に向かったのだが、その真上にハープーンのランチャーがあった。(下図)

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 「装てん中」の表示があったので、実弾が装填されているようだ。やはり、このご時世片時も臨戦態勢を崩せないらしい。

 前甲板には、アスロックランチャーと76mm砲があった。(下図)

(アスロック)
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(76mm砲)
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 どちらも、写っている人と比べると、その大きさが判る。

 その時、ふと海峡の向こう岸を見ると一隻の白い船が見えた。(下図)

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 それは、下関側で行われているイベントに来ている帆船“日本丸”だそうだった。門司港には何度も来ているのでおなじみの船だが、下関側は初めてではないだろうか?

 その後、艦内に入っていったが、小雨が降っていて足下が滑る恐れがあるためだろうか、艦外のラッタルが進入禁止になっていたので、艦橋には登ることができなかった。
 そのため、今回はいきなり艦内部へと降りていった。

 艦内の通路は狭くラッタルも急なのは相変わらずで、人波に押されて進んでいくと、機関の制御室に着いた。(下図)

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 ここでは、乗組員の人が、この艦の機関について説明をしていた。

 その後、通路を進んでいくと食堂でグッズ販売をしていた。特に欲しい物は無かったので、何も買わなかったが、そこでは、部量で“はるゆき”のパンフレットを配っていた。また、壁には自衛隊の指揮系統を表すポスターが貼ってあった。(下図)

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 光が反射していて見えにくいが、自衛隊の最高司令官には、小泉首相が写っていた。

 その後、甲板に戻り。後甲板を見に行った。そこにはシースパローのランチャーがあった。(下図)

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 最近の護衛艦はVLS装備になっているので、このようなランチャーを搭載している艦は数が減ってきている。

 また、一段高いところにヘリコプター用の飛行甲板(下図)があったが、ここには行くことができなかった。

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 後方を見ると、海上保安庁の巡視船“はかた”が見えた。(下図)

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 この船も公開されているので、見に行くことにして、“はるゆきを下艦することにした。

 途中の廊下の天井に奇妙な物体が吊されているのに気づいた。(下図)

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 これは、形から見て砲口清掃用のクリーニングロッドのようだ。

 艦を降りると、巡視船までの途中人集りがあり、に陸上自衛隊の装備品が展示してあった。(下図)

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 これは、イラク派遣部隊でも使われている軽装甲機動車だ。どうやら北方の基地から来たらしい。そう思ってみていると、隣にある和製ハマーの高機動車に人が乗り込むのが見えた。(下図)

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 どうやら、体験試乗をしているようだが、子供だけかなと思っていたら、誰でも良いとのことだったので、乗せてもらうことにした。(下図)

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 車内は、10人乗りだけあって結構広かった。駐車場を一回りしただけだが、その巨大な車体に似合わず、旋回半径が小さかったのが印象的だった。
 ドライバーの話では、この車は4WSとのことで、それにより小回りがきくそうだ。

 高機動車の試乗を終えると、巡視船“はかた”に乗船した。(下図)

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 自衛隊の船と異なり、見学の順路が示されていなかったので、まず後甲板に行ってみたところ、丁度アナウンスがあり、救難訓練の実演が始まるとのことだった。
 第7管区海上保安庁の保有するヘリコプターが博多から飛来し、まずは救助隊員を吊り下げて、待機していた小型巡視船の上に降ろす訓練を見せてくれた。(下図)

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 この日は強風が吹き波が荒れていたので、ヘリコプターも巡視船も操縦には、かなりの苦労があったと思われる。
 その次に隊員の一人が海に飛び込み、遭難者の役割をしての救助訓練を披露してくれた。(下図)

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 ここまでの演技を見せてくれるとは思わなかったので、甲板上は拍手喝采の嵐だった。

 救難ヘリコプターの演技が終わった後、今度は甲板上で陸上隊員による救難訓練を見せてくれた。(下図)

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 後甲板上に張ったロープを伝って、高所に登り遭難者を救助する訓練だが、これはヘリコプターなどが近づけない場所で遭難した人を救助するときに使う方法だそうだった。
 このロープを伝って登っていく姿から「海猿」という言葉ができたそうだ。

 そして、救助隊員が登り終えると、遭難者役の人がロープを滑車で滑り降りて、救助された。(下図)

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 実際、数年前富山で台風のために座礁した海王丸の乗組員を救助したときには、この方法で行われたそうだ。

 これで救難訓練の演技が終わり、解散となった。アナウンスをしていた人(一日海上保安官のアイドル?)が、「これを持ち上げて終了します」と言い間違えていたのが失笑を買っていた。

 その後、右舷を通って前甲板を見に行った。巡視船の前甲板には、35mm砲と20mmバルカン砲を装備していた。(下図)

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 これらは、自衛隊の艦と異なり、どちらも光学照準しかないので命中にはかなりの熟練が必要のようだ。
 北の工作船相手に正当防衛射撃を行った巡視船の砲手は、かなり命中弾を与えていたので、相当の腕前だったのだろう。

 そうして、一通り見終わったので、船を下りた。船尾に廻ってみると、この船も日章旗が掲げられていた。(下図)

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 前回見た海王丸もそうだったが、やはり艦首に日章旗、艦尾は旭日旗というのは、自衛隊だけらしい。

 その後、雨風が強くなってきたので、大急ぎで会場を後にした。

 この日は天候が優れなかったものの、内容的には近年になく充実したもので、大当たりだった。
 ドラマや映画で人気の「海猿」の影響で、近年海上保安庁の志願者が増えているという噂は聞いていたが、それもあってか今年の海上保安庁の出し物は気合いが違っていた。
 これだけのものを見ることができたので、非常に満足だった。また来年も見に来たいものだ。


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December 16, 2006

10月27日 自衛隊観艦式 その1

 3年に一度、相模湾で行われる海上自衛隊最大のイベント観艦式を見学した。写真の整理が遅れて、だいぶ遅くなったが、その模様を書いていきたい。

 今年の観艦式は10月29日が本番で、それに備えて10月22日から予行演習が行われる。
 予行演習および本番には乗艦して式の模様を見学することができるが、これには、かなり競争率の高い抽選で乗艦券を手に入れなければならない。

 この乗艦券を入手するため、いろいろ努力をし、なんとか入手することができた。(下図)

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 もうダメかとあきらめかけていたときに届いた乗艦券は、保険のつもりで応募していた27日の予行に横浜から乗艦の券だった。
 こいつは予想外のラッキーなことだ。


 いろいろ調べてみると、どんなに早い便でも当日移動では受付に間に合わないので、前日移動して横浜で一泊することにしたが、当初の心づもりは29日の本番での乗艦だった為、それに合わせて飛行機を予約していたのだが、それをキャンセルして1日早い便を取り直すことになった。
 そして26日夜、新北九州空港からスターフライヤーの夜間便で羽田まで行き、そこから京急を乗り継いで横浜まで行くと午前0時をまわっていた。


 翌朝、乗艦受付は7時からだったので、6時すぎに宿を出て、乗艦場所の横浜新港へと向かった。
 横浜新港は、案内によるとJR桜木町駅か、みなとみらい線のみなとみらい駅から徒歩でとなっていたので、目的地により近いみなとみらい駅で降りることにした。

 途中、コンビニに寄り、朝食と昼食を仕入れて横浜新港まで歩いていくと、同じ方向へ歩いていく人波があったので、目的地は同じだろうとあたりをつけて付いていった。

 途中、橋の上から海の方を見ると、護衛艦が2隻停泊しているのが見えた。(下図)

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 この2隻の他にも対岸に護衛艦が停泊しているのを見つけたので、この方向で間違いないと確信し進んでいった。

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 そうして歩くこと暫し、ついに入り口にたどり着いた。(下図)

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 この日横浜新港にいるのは、護衛艦“さわぎり”と“あぶくま”で、私の乗艦するのは“さわぎり”の方だ。
 また、入り口の表示から判るように、乗艦者は乗艦券のチェックと空港並みの金属探知器による検査と手荷物検査を受けさせられた。(下図)

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 幸い私は問題なくパスしたが、持ち込み禁止対象物があると荷物が一時預かりになるようだ。
 ゲート抜け中に入ったところで、受付の婦人自衛官からパンフレットをもらった。(下図)

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 これには観艦式の参加艦艇とスケジュールが書いてあった。

 乗艦すると、数名を1グループにして海上自衛官がついて艦内の案内をしてくれた。この人は元々陸上勤務なのだが、観艦式支援のため乗りこんでいるそうだった。
 一通り艦内を回った後、後甲板で解散となった。この“さわぎり”は、ヘリコプター搭載艦なので、後甲板は広く、またこの日はヘリを搭載していなかったので、格納庫も空いていた。
 この日、格納庫内にはステージが設営されていて、佐世保基地音楽隊が演奏の準備をしていた。(下図)

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 後甲板には大勢が毛布を敷いて場所とりをしていた。この毛布は貸してくれるそうなので、1枚借りてきて、とりあえず場所を確保した。

 そうして出港の時間となり、まず隣にいた“あぶくま”がタグボートに引かれて離岸した。
 この時、音楽隊の演奏が行われ、“あぶくま”は宇宙戦艦ヤマトのテーマに乗っての出港となった。(下図)

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 “あぶくま”が出港した後、“さわぎり”も出港となった。こちらは軍艦マーチに乗っての出港だった。
 各艦はレインボーブリッジの下をくぐり東京湾へ出た。東京湾へ出るとすぐに単縦陣へ艦列を整えた。(下図)

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 甲板上にいた海上自衛官の話によると浦賀水道は追い越し禁止なので、今の内に艦列を整えておく必要があるとのことだった。

 そうして、東京湾を南下していると、途中様々な船とすれ違っていった。多くは漁船や貨物船だが、中には米軍の駆逐艦もいた。(下図)

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 艦番号から、これはアーレイ・バーク級駆逐艦“カーティス・ウィルバー”だろう。この他にも首都防衛のために旧帝國海軍が築いた砲台島を見ることができた。(下図)

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 この日は曇りがちで、東京湾には靄がかかっていたため、視界はあまり良くなかった。晴れた日なら対岸の房総半島がよく見えるのだがと自衛官が言っていた。
 そうしていると、靄の中に遠く木更津を出港した船も見えた。(下図)

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 この艦が何かは、距離が遠く海上も霞んでいるため、艦名は確認できなかった。


 浦賀水道を抜けると風と揺れが強くなり、艦も速度を上げ始めた。そして相模湾に近づくにつれて艦列は2列に再編成を始めた。私の乗る“さわぎり”を追い越して行く艦も出てきた。(下図)

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 よく見ると、どの艦にも甲板上の至る所に人の姿が見える。ずいぶん大勢乗っているものだ。
 後方を見ると、“さわぎり”の後について艦列を組もうとする艦もいた。(下図)

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 そして、艦列の再編成が終わる頃、右前方に1隻の艦が見えた。見るとその艦にヘリコプターが着艦しようとしている。(下図)

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 近くにいた自衛官が言うには、あれが観閲艦の“くらま”で、あのヘリで観閲官(首相)が乗艦するのですとのことだった。
 この日は予行なので、実際に首相は乗っていないが、本番同様にヘリを着艦させた後は、艦列に加わってきた。

 観艦式では、参加艦船は、大きく分けて観閲部隊と受閲部隊に分けられる。そして、観閲部隊は、観閲艦の属する本隊と付属部隊に分けられて、2列縦隊で進んでいく。

 受閲部隊は、その列の間を通り抜けて、観閲官に登舷礼を行う。これは海上自衛隊の方式で、国によって違うし、また同じ国でも時期が違えば異なっていることがある。

 今回、私が乗艦した“さわぎり”は観閲部隊の本隊に属していて、本隊は先導艦“いかずち”から観閲艦“くらま”、以下随伴艦“ちょうかい”、“ひえい”、“さわぎり”、“うみぎり”、“あけぼの”の順で艦列を組む。
 付属部隊の方は、“さみだれ”、“まつゆき”、“あぶくま”、“ちはや”、“うらが”、“あすか”、“てんりゅう”からなっている。


 艦列が再編成された後、左舷を見ると付属部隊の艦列が見えた。あいにく逆光になっているので、シルエットになって艦番号が読めないので、何という艦か判らないものが多いが、特徴ある艦型で以下のものは判った。

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 これらは潜水艦救難船“ちはや”と掃海艇母艦“うらが”で、“ちはや”は甲板上に潜水艇があるのですぐ判る。


 そして、式典が始まり、受閲部隊が通過を始めた。(下図)

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 先頭は、受閲部隊旗艦の“たちかぜ”で、以下続々と続いていった。(下図)

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 受閲部隊は護衛艦だけでなく、輸送艦の“しもきた”やLCACにミサイル艇もいた。(下図)

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 水上艦艇の受閲が一区切りすると、航空部隊の受閲も始まった。(下図)

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 航空部隊受閲の合間に海上保安庁の船も受閲していた。(下図)

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 また、航空部隊の受閲は、海上自衛隊だけでなく航空自衛隊も飛来していた。(下図)

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 一通りの受閲が終わると、観閲部隊は180度ターンをして進路を東に向ける。これまで、“さわぎり”より前にいる艦は全く見えなかったが、この時はわずかの間だが見ることができた。(下図は観閲艦の“くらま”)

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 当然のことながら“さわぎり”以下の艦や付属部隊の艦列も左に旋回を始めた。(下図)

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 艦列が回頭を終えると、今度は訓練展示に入る。まずは左舷前方から進入してきた護衛艦の空包射撃が行われた。(下図)

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 空砲射撃の次は、ボフォースの発射展示が行われた。(下図)

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 ボフォースの展示の次は、対潜ヘリの離着艦展示が行われた。(下図)

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 ヘリが離艦して母艦が通り過ぎた後、潜水艦のドルフィン運動の展示が行われた。(下図)

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 潜水艦が潜行浮上を繰り返して通り過ぎた後、補給艦の洋上補給作業展示が行われた。(下図)

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 この補給艦の移動速度が遅いためか、私の乗った艦の前を通り過ぎる前に次の展示、IRフレアー発射と甲板散水が行われた。(下図)

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 この甲板散水は、BC兵器による攻撃を受けた場合など、艦を洗浄して乗組員の安全を確保するのが目的とのことだ。
 しかし、散水で発生した霧とフレアーの煙が一面に立ち込めて、煙幕を張ったような状態になった。(下図)

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 それが終わると、今度はミサイル艇とLCACが通過していった。(下図)

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 これらは追加した以外は、特に何もしなかった。
 その後、航空部隊の展示となり、まずUS-1A救難飛行艇の離着水の実演があった。(下図)

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 波の高い外海で離着水できる飛行艇は、世界でもこれと国産のPS-1対潜飛行艇しか存在しないそうだ。「我が日本の飛行艇技術は世界一ぃぃぃ」と言ったところだ。

 US-1Aが離水して行った後、次はP-3CによるIRフレアー発射実演があった。(下図)

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 フレアーの実演は、花火のようでなかなか美しい。この機が去った直後、別のP-3Cがやってきて、対潜爆弾の投下を行った。(下図)

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 さすがに実弾を使うわけにはいかないだろうから、水煙も控えめだった。


 以上で展示訓練は終了となり、執行者のあいさつ(本番では観閲官の訓辞)があった後、全艦帰投することになった。

 この時、驚いたことに“さわぎり”は30ノット近くの速度を出し、前方にいた艦、“ひえい”や“ちょうかい”を追い越していったのだった。(下図)

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 後から思えば、浦賀水道の追い越し禁止を考えると、横浜に帰港するこの“さわぎり”は、横須賀に戻る他の艦より先に浦賀水道に入らないと、帰港する時間が非常に遅くなってしまう。それ故にこの驚くべき速度を出していたのだろう。気が付くと全艦隊の先頭を疾走していた。(下図)

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 その後、しばらくして浦賀水道が近づいてくると、“さわぎり”は速度を緩めた。ここで、格納庫のステージでアトラクションを行うとのアナウンスがあった。
 アトラクションは、乗組員によるショートコントや佐世保基地音楽隊による演奏、コーラスグループの歌など、いろいろ楽しめた。(下図)

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 その合間に、主砲と短SAMの稼働展示も行われた。(下図)

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 残念ながら私は後甲板にいたので、主砲の展示は見ることができなかった。
 これらの展示を見ていると時間が経つのを忘れていた。気が付くと横浜新港の近くまで来ていた。(下図)

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 そして、レインボーブリッジをくぐり、新横浜港へと入っていった。出港するときもそうだったが、艦の最上部が橋に当たりそうに見えたが、実際には当たらない高さに作られているので、問題なくくぐり抜けた。(下図)

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 その後、タグボートに引かれて、出港した岩壁に接岸した。接岸したのは入港予定時刻の午後4時10分を少し過ぎたぐらいだった。佐世保基地音楽隊の方々は、入港時にも演奏を続けてくれて、最後まで皆を楽しませてくれた。(下図)

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 今回は“さわぎり”に乗艦できて本当に良かったと思う。この佐世保基地音楽隊の演奏により、帰路は全く退屈することがなかったし、ヘリ搭載艦なのでフィン・スタビライザーがあるので、揺れも少なかった。同じ新横浜港を出港した“あぶくま”なら、ヘリ搭載艦ではないので、音楽隊も乗っていないだろうし、揺れもひどかっただろう。


 下艦後、Idioten氏と合流すべく横浜駅へと向かった。Idioten氏は、この日仕事のため乗艦できなかったが、この日はありがたいことに家に泊めてくれるので、夜には何かゲームをしようと言っていた。
 しかし、仕事が長引いて横浜で一緒に晩飯でも食うつもりだったのができず、結局Idioten氏の家でコンビニ弁当を食うことになった。

 その後、延々と秘蔵のビデオ、イギリスのある島でケルト人の狂信者達が、誘拐事件の捜査に来た刑事を焼き殺す映画や銀行強盗が警察相手にAKを乱射する映画などを細切れに見せられた。
 疲れていた私は居眠りをして、ろくにビデオをみていなかった。その後、結局ゲームはせずに寝ることになった。

 こうして、観艦式見学の1日目は終わった。


(続 く)

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December 29, 2006

10月28日~29日 自衛隊観艦式 その2

 前日の27日は観艦式の予行を堪能した後、友人Idioten氏の家に泊めてもらい、所蔵する秘蔵のビデオを細切れに見せられたことは前回も書いたとおりだが、28日の朝も中国製の字幕無しDVD、それも中国軍が日本軍に勝利するという中国映画のDVDを速回しで見せられた。
 何でもこの戦いで日本軍は負けはしたものの見事な退却を演じたとIdioten氏は絶賛していた。

 この日私は横須賀の各地で一般公開されている護衛艦などの満艦飾を見に行くつもりで、Idioten氏にも一緒に行かないかと尋ねてみたが、残念ながら今日も仕事だということで、私一人で行くことにした。
 Idioten氏の出勤に合わせて私も早々に家を出て、横浜駅から京急の特急に飛び乗った。

 事前の調査で判っていたが、この日一般公開があるのは、北から船越岩壁、吉倉桟橋、横須賀新港の3カ所で、帰りのことを考えて、とりあえず一番南の横須賀新港から見ていくことにした。

 最寄り駅の横須賀中央駅で降りて、歩いていくと道の途中に海上自衛官が案内のために立っていて、迷うことなく行くことができた。

 少し歩いていくと、道路の向こうにそれらしい物を見つけた。(下図)

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 そちらに向かっていくと、一般公開の表示を見つけた。(下図)

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 そのまま中に入っていくと、2隻の護衛艦が停泊していた。(下図)

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 ここでも金属探知器と持ち物検査があったが、それをパスして中にはいると、護衛艦“むらさめ”と“おおなみ”への乗込口があった。(下図)

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 まずは岸に近い“おおなみ”へ乗り込み、中を一回りした。艦橋まで上がって下を見下ろすと前甲板の主砲塔が見えた。(下図)

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 また、艦橋内を見回すと、戦闘態勢表示板というものがあった。(下図)

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 これはどうやら戦闘時に各兵装の状態を表示するもののようだ。かなり前に特務艦に所属替えされた旧式の護衛艦に乗ったときは、ランプが一列に並んでいるだけだったが、最近は艦のどこに位置する兵装か一目で分かるようになっている。

 艦橋を見終わった後、ラッタルを降りようとしたとき、壁に電話機があるのを見かけた。(下図)

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 見るとドコモの電話だった。衛星電話もドコモ製とは、NTTはこんなところにも入り込んでいるんだなと変に納得してしまった。

 その後順路に従って進んでいくと、隣の“むらさめ”へ渡るようになっていたので、そのまま進んでいった。
 
 やはり順路に従ってぐるぐる廻っていくと、後甲板にでた。ここには対潜ヘリの格納庫があった。(下図)

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 ここで、立ち番をしていた乗組員に「隣の船とは形が似ているが、どう違うのか」と聞いてみたが、要領を得ない回答だった。乗組員でもよく説明できないようだ。

 その後、前甲板に行った。主砲を見ていると、隣の“おおなみ”とは違っていることに気づいた。(下図)

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 データ的にはどちらもOTOメララ製砲だが、“むらさめ”型搭載砲は76mm砲で、“たかなみ”型搭載砲は127mm砲になっているので、砲塔の形も異なっているわけだ。

 2隻の中を一通り見終わったので、横須賀中央駅へと戻っていった。その途中に変なものを見つけた。(下図)

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 これは横須賀名物海軍カレーのマスコット“スカレー ”で、ここは横須賀の観光案内所と横須賀海軍カレー本舗があるYYポート横須賀の前だった。

 ちょっと興味が出たので中にはいると、横須賀の海軍カレーと名の付くものが、いろいろと並べてあった。

 店員に売れ筋を聞いてみると、やはり自前の商品を勧めてきた。(下図)

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 どれも大して変わらないだろうが、佐世保などで見かけたのと同じ物は避けようと思ったので、お勧めの物を買うことにした。


 そして、横須賀中央駅から京急で汐入駅まで移動し、徒歩で吉倉桟橋を目指した。

 その道すがら、臨海公園の中を通っていると、向こう岸に潜水艦が停泊しているのを見つけた。(下図)

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 停泊しているのは、この2隻だけでなく、他に何隻もいた。(下図)

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 潜水艦の群れの向こう側には何かいるようだが、この位置からではそれが何かよく分からなかった。
 そして、行き先の方に目を向けると、護衛艦の群れが満艦飾で並んでいた。(下図)

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 これだけいるとは、やはりここが横須賀基地の中心地だと確信し、足を速めた。
 そうして進んでいくと、横須賀基地の入り口が見えてきた。そこには今日公開されている艦が表示されていた。(下図)

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 今日は“ちょうかい”も公開されている。今回の目的の一つは、イージス艦に乗ってみるということもあるので、それはクリアできそうだ。

 入り口を抜けて進んでいくと、立派なゲートが立っていた。(下図)

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 ゲートの向こうでは、やはり手荷物検査と金属探知器のチェックがあり、無事パスしたので、奥へ奥へと進んでいった。
 しばらく進むと、正面に先ほど公園で見た艦艇群が見えた。(下図)

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 近づいていくと、今日停泊している艦の名前と公開状況を表示する看板があった。(下図)

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 やはり最初は、最大の目的である“ちょうかい”から乗艦することにした。(下図)

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 “ちょうかい”はその外見から舷側の一部が覆われているため、ハッチから中に入った。(下図)

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 そして艦橋に上がっていき周囲を見渡すと、停泊している艦がよく見えた。(下図)

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 また、先ほど潜水艦の向こう側に見えた艦もよく見ることができた。(下図)

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 どうやら、こいつは米艦らしい、ということは向こう側は米軍基地なのだろうか。

 そして、艦橋内にはいると、カバーが掛けられている機材があった。(下図)

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 これまでの一般公開では、このようなことは無かったが、さすがにイージス艦では一般に見せるわけには行かないものがあるのだろう。
 その後、艦内を一通り見て回った。その時、意外だったのは“ちょうかい”の食堂が他の艦と比べると、結構広かったことだ。(下図)

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 この大きさはやはり、大型艦ゆえにだろう。そして艦外に出て、隣の“たちかぜ”に向かった。

 “たちかぜ”の艦橋から後方を見ると、“ちょうかい”のVLSが見えた。(下図)

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 これまで行った護衛艦の一般公開では、VLSを上から見る機会はなかったので、これは貴重なものだ。

 その後、艦橋を降り、前甲板で“たちかぜ”の主砲を見ているときにふと気が付いたが、砲塔前面にバスケット状のものがあった。よく見ると主砲下部に、おそらく薬莢排出口と思えるものを見つけた。(下図)

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 これまで、これらの自動砲は排莢をどうしているか疑問だったが、これでその疑問が解けた。

 “たちかぜ”に続き、隣に係留されている“たかなみ”に乗り移った。艦内を廻っているとき、前甲板にカメラクルーがいるのを見かけた。(下図)

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 どこのテレビ局かは判らなかったが、夕方のニュースででも放送されたのだろう。
 また、“たかなみ”の食堂では、非常用糧食の展示をしていた。(下図)

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 乾パンの試食もあったのだが、口の中がカラカラで、とても食べられる状態では無かったため、それはあきらめた。
 “たかなみ”を見終わった後、桟橋を歩いて次の公開艦“あさかぜ”へと向かった。隣に停泊している“くらま”を清掃しているのを見かけた。(下図)

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 明日は首相が乗る本番だけあって、念入りに水垢を落としていた。さすがに観閲艦は気合いの入れ方が違う。

 “あさかぜ”には、接岸している“はるさめ”を通って乗り込んだ。と思ったら、順路はさらに隣のミサイル艇へとなっていたので、そちらを先に見ることになった。

ミサイル艇“しらたか”は小型艦艇なので、一言で言えばどこも狭く、艦橋も人が通るのが精一杯だった。(下図)

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 しかし、小型艦艇とはいえ搭載しているのは、90式対艦ミサイルなので、その攻撃力は非常に高い。
 このほか、両舷に銃座があり、残念ながら外されていたが、ミニミ機銃が搭載できるようだ。(銃座にそういう記述があった)(下図)

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 “しらたか”を見終わった後、“あさかぜ”の艦内を廻ったが、あまりに多くの艦艇を見てきたので、そろそろ何が何か判らなくなってきた。
 後甲板に出るとそこにはスタンダードミサイルがあった。(下図)

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 今となっては旧式装備だが、“こんごう”型イージス艦ができるまでは、これが艦隊防空を担っていたのだ。

 “あさかぜ”を見終わり、吉倉桟橋の公開艦全てを見たので、再び汐入駅へ急ぎ向かった。途中JR横須賀駅の前を通りかかったときに、ここにもスカレーの像があることに気づいた。(下図)

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 後で気づいたが、横須賀中央駅にもあった。どうやら、これは横須賀を代表するマスコットのようだ。

 そして汐入駅から京急で田浦駅へと移動した。駅から船越岩壁まで徒歩で移動したとき、時間は午後4時を回っていた。

 入り口には、他の所と同じくこの日公開されている艦名が表示されていた。(下図)

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 ここでは、護衛艦ではなく掃海母艦の“ぶんご”と潜水艦救難艦の“ちはや”が公開されていた。
 恒例となった手荷物検査と金属探知器のチェックを抜けると、バスに乗り込み公開場所に向かった。

 まずは“ぶんご”の方を先に見ることにした。この“ぶんご”は巨大な船で、甲板が高い位置にあるため、そこまで上がるラッタルが以上に長かった。
 そして、艦橋に上がってみると、巨大な船体にふさわしく他の護衛艦などと比べて非常に広かった。(下図)

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 掃海母艦ということで、武装はないかと思っていたら、前甲板に76ミリ砲が装備されていた。(下図)

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 その後、後甲板に行ってみると、ヘリ格納庫と広大な発着甲板があった。(下図)

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 ヘリ格納庫で子供向けのイベントをしていたが、さすがにお呼びでないのでスルーした。そして、一通り見終わったので、岩壁に降りて、“ちはや”へと向かった。

 “ちはや”の装備で最大の特徴は、潜水艦救難用の潜水艇だろう。(下図)

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 これが動くところを見てみたいものだが、その時は本当に事故が起きた時だろうから動かない方が平和なのだろう。その後後甲板に行くと、何か式典が行われていた後のようだった。(下図)

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 公開されていた2隻を見終わったので、基地内を歩いてゲートへと向かった。途中放送で日没が4時59分なので、それと同時に国旗の降納が行われるため、黙祷を捧げてもらいたいとあった。

 そして田浦駅から再度汐入駅に移動し、臨海公園で午後6時からの電灯艦飾が始まるのを待った。
 考えることは皆同じようで、ここで電灯艦飾を待っている人が大勢いた。

 何とか場所を確保し撮影してみたが、三脚を持って行っていなかったので、どうしても手ぶれしてしまった。(下図)

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 また、電灯艦飾はしていなかったが、潜水艦が停泊しているところもライトアップされていた。(下図)

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 とりあえず、これだけを撮影した後、大急ぎで駅まで移動し、予約していたこの日の宿に向かった。

 こうして、観艦式見学の2日目は終わった。


 そして翌29日、本来ならこの日乗艦するつもりで予定を組んでいたので、丸々1日時間が空いてしまった。
 Idioten氏もこの日別に用事があるそうなので、毎年恒例の靖国参拝とゲーム屋巡りをすることにした。

 まず、新宿イエサブに行ってみたが特にめぼしい物は無く、メックのブースターも秋葉原店にしかないとのことだった。

 その後、地下鉄で九段下まで移動し、靖国神社へ行った。(下図)

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 今回は遊就館も見て回った。その昔、遊就館は撮影自由だったが、今では入り口の零戦など一部しか撮影を認められていない。

 その後、売店でおみやげに「晋ちゃん饅頭」(下図)を購入して靖国神社を後にした。

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 この後、神保町の古本屋街を見て回り、水道橋のメビウスも回ったが、まだまだ帰りの飛行機までには、まだまだ時間が余りきっていた。

 とりあえず、久々に上野動物園に行き、いろいろな動物を見て回ることにした。さすがに昨日から歩きづめだったので、少々疲れたが、パンダを始め普段見られない動物を見ることができた。(下図)

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 上野動物園は午後4時で閉園なので、時間ぎりぎりまで見て回ったが、まだ時間があるので、イエサブ秋葉原店に行ってみることにした。

 秋葉原駅は、内部構造が以前来たときと変わっていたので、少々迷いながら何とか外に出た。
 そして、イエサブに向かっていく途中、メイドさんの格好をした人がビラ配りをしていた。
 噂には聞いていたが、表通りでメイドの格好をした人を見かけるとは思わなかった。

 イエサブ秋葉原店で、メックのブースターを買い求めた後、まだ早いが羽田空港に向かうことにした。

 東京モノレールで羽田空港に着くと、まず搭乗手続きをして手荷物を預けた後、空港内を見て回ることにした。
 空港の売店を見て回ると、ここでも「晋ちゃん饅頭」が売っていた。「純ちゃん饅頭」の時は、靖国の他には東京駅の地下街でしか売っていなかったのが、ここまで進出してきたとは驚いた。

 そうして、なんとか時間を潰して、出発時刻になったので、スターフライヤーの夜間便で北九州空港へ向かった。
 行きと同じくスターフライヤーの乗り心地は快適で、旧空港時代の飛行機と比べると雲泥の差がある。

 そして、何とか新北九州空港に降り立ち、家に帰り着いたときには、午前0時を回っていた。
 さすがにこの日は仕事があるので、そのまま寝ることにした。


 今回は幸運にも恵まれ、観艦式の観閲部隊の護衛艦に乗るという貴重な体験をすることができた。
 また、これまで見ることのできなかったイージス艦も見ることができた。十分な成果と言えよう。

 しかし、反省点も多々あるので、これは3年後、次回観艦式までの課題としよう。

(終わり)

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May 26, 2007

5月26日 門司みなと祭

 5月26日、今年も門司みなと祭では恒例の海上自衛隊護衛艦一般公開をLock氏と見に行った。(下図)

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 今年来ていたのは、佐世保地方隊所属の“おおよど”だった。
 “おおよど”は基準排水量2000トンの「あぶくま型護衛艦」の3番艦として平成3年に就役した護衛艦で、艦番はDE231(下図)

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 この日の公開は午前と午後があったが、同時に一般公開された海上保安庁の巡視船“はかた”の公開が13時からなので、それに合わせて会場に行った。
 この日は幸い天候には恵まれたためか、かなりの人出で、時間前に乗艦が始まったのになかなか乗艦することができなかった。

 待つことしばし、ようやく乗艦できたので、順路に沿って前甲板に向かった。

 前甲板には、76mm砲があった。(下図)

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 よく見ると76mm砲のマズルブレーキが真新しかった。(下図)

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 どうやら、新しい物に交換した直後のようだ。

 その後、ラッタルを登り艦橋へと入っていった。艦橋の外には、おなじみのチャフランチャーがあった。(下図)

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 そして艦橋内に入っていった。艦橋は狭く、見学者であふれかえっていたため、なかなか前に進めなかった。
 その時、Lock氏が指さしたものを見ると、信号弾のようだった。(下図)

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 緊急時にはこれを使って連絡をとるようだ。

 艦橋を見終わった後、館内に入っていくと、操舵室入り口の前の壁に業務用データ持ち出し禁止の表示があった。(下図)

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 最近、自衛隊では機密漏洩事件が頻発しているためなのだろうが、それならもっと具体的に例を挙げて、こういうことをしては処罰の対象になると表示した方が効果があるのではないだろうか?


 その後、通路を進んでいくと食堂でグッズ販売をしていた。昨年の観艦式の時は弘済会以外はグッズ販売を禁止されているので、基地の売店でしか買えないとなっていたのだが、解禁になったのだろうか。

 特にこれという物は無かったので、何も買わなかったが、そこでは、パンフレットを配っていたので1部もらってきた。

 その後、甲板に戻り。後甲板を見に行った。そこにはバルカン・ファランクスがあった。(下図)

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 最近の護衛艦にはファランクスは2基搭載されていることが多いが、この艦は後甲板に1基だけだった。
 また、その後ろ(艦中央方向)にはハープーンのランチャーがあった。(下図)

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 この艦には左右2基ずつ4基のハープーンが搭載されていた。以前同じ“あぶくま”型護衛艦“とね”を見たときも思ったのだが、本当に海戦になったとき、これだけで足りるのだろうか?
 片側2発、反対側も含めて4発撃って後は逃げるだけでは、抑止力になるのか不安になってくる。
 どうせなら、ジパングに出てくる“みらい”のようにトマホークミサイルも搭載してもらいたいところだ。


 ここまで見ていて何か足りない気がした。そう、短魚雷発射筒が見あたらない。もしかして最近は搭載していないのかと探したところ、防盾の後ろに隠されていた。(下図)

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 やはり短魚雷は、アスロック(下図)とともに対潜戦闘時には主要攻撃手段なので、どの艦にも搭載されているようだ。

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 この“おおよど”のアスロックランチャーは、艦中央に配置されているので、側方にしか撃つことができないようだが、それでいいのか?


 アスロックランチャーを見た後、“おおよど”を下艦し、巡視船“はかた”を見に行くことにした。

 艦を降りると、陸上自衛隊のメガクルーザー(高機動車)が、人を乗せて走っているのを見かけた。(下図)

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 どうやら今年も体験試乗をしているようなので、乗せてもらうことにした。

 昨年は外周を走っていたのだが、今年はスペースの関係か、それはできないようで、メガクルーザーは、仕切られた範囲をゆっくりと走り、4WSで急旋回を繰り返していた。
 まさに、“いつもより余計に回っています!”といったところだった。

 また、イラク派遣部隊でも使われていた軽装甲機動車が展示されていた。(下図)

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 これには乗ることはできなかったが、表示を見ると地元の部隊名が記されていたので、こっちにも配備されたのが判った。

 そして、巡視船“はかた”を見に行った。(下図)

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 船に近づいた時、後甲板で救難訓練の実演が行われていたので、岸壁からその様子を見た。“はかた”所属のダイバーがロープを腕の力だけで登っていたのには驚いた。(下図)

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 やはり、海保のダイバーはただ者ではない。

 そして、救助隊員が登り終えると、遭難者役の人がロープを滑車で滑り降りて、救助された。(下図)

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 その後、乗船して、まずは右舷を通って前甲板を見に行った。巡視船の前甲板には、35mm砲と20mmバルカン砲を装備していた。(下図)

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 以前は、砲の近くまで上がって行けたのだが、今年は立ち入り禁止となっていた。


 そうして、一通り見終わったので、船を下りた。船尾に廻ってみると、子供達と写真を撮っている着ぐるみを見かけた。(下図)

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 これは海上保安庁のマスコット“うみまる”くんで、昨年の名前もしらないアイドルより、子供に人気があった。

 うみまるの階級は何だろうとLock氏が言っていたが、このときはどこにも海上保安庁の階級について表示がなかったので判らなかった。
 その後、調べてみると、海上保安庁のサイトに二等海上保安正とあった。

 それがどのくらい偉いのか判らないが、子供に人気があるので広報官としては優秀のようだ。


 その後、ブリッジに上がり、前甲板を見下ろしてみた。(下図)

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 上から見て気が付いたが、砲塔周りを始め、巡視船の外壁の暑さが厚くなっているように思えた。
 これは、やはり不審船との銃撃戦を教訓としているのだろうし、体当たりしてくる密漁船の拿捕など荒事が増えてきたため、乗組員の安全を考えてのことなのだろう。

 また、外から見ていてもそうだったが、ブリッジに登ってみると、護衛艦よりも巡視船の方が揺れが大きいことに気が付いた。
 これはやはり、フィン・スタビライザーを装備しているかどうかの違いなのだろう。


 その後、ブリッジから船内に入り、船内を一通り見学した後、下船し会場を後にした。た。


 この日は強風が吹いたが、何とか天候は晴天だったので、まずまずの成果といえよう。また来年も見に来たいものだ。


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May 26, 2008

5月25日 門司みなと祭

 5月25日、今年も恒例の門司みなと祭の海上自衛隊護衛艦一般公開をLock氏と見に行った。今年は門司港の岸壁が改修されていたので、去年までとは停泊場所が違っていた。(下図)

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 今年来ていたのは、第1護衛隊群第1護衛隊(横須賀)所属の“しまかぜ”と“あけぼの”の2隻だった。(下図)

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 2隻並んでいるので、まずは奥に停泊している“あけぼの”から見ていくことにした。

 “あけぼの”は、「むらさめ型護衛艦」の8番艦で、平成14年3月に就役。艦番はDD108(下図)

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 この日は所用があり、午後2時を過ぎて現地に着いたため、ピークは過ぎていたようで、割とすんなり乗艦することができた。(下図)

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 順路に従って後甲板に行くと、対潜ヘリのSH-60Jがあった。(下図)

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 “あけぼの”は、このSH-60Jを1機搭載し、対潜哨戒任務にあたっているようだが、こいつにはチャフ/フレアランチャーが装備されているので、いざというときは艦に装備された物に加え、これもミサイル防御に使うのだろう。

 後甲板から後ろを見ると、“あけぼの”と同じく一般公開されている“しまかぜ”が見えた。(下図)

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 こちらも後で見に行くので、すぐSH-60Jの格納庫に入っていった。

 その後、順路に従い前甲板に行ってみると、主砲のOTOメララ 76mm砲やバルカン・ファランクスがあった。(下図)

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 この76mm砲は、発射速度に優れ、対空火器としては申し分ないのだが、120mmクラスが標準の最近の戦車砲と比べると見劣りがする。M1エイブラムスなど現用の戦車と正面から撃ちあったら、砲の威力、装甲とも戦車の方が上だろうから、こっちの方が撃ち負けるんじゃないのか?などと思いながらラッタルを昇り、艦橋へと向かった。

 艦橋に上がり下を見ると、先ほどまでいた前甲板の様子がよく見えた。(下図)

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 ここなら76mm砲やVLSなど武装の配置がよく判る。また艦橋内には、艦の状態を示す表示があった。(下図)

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 ダメージがあった場合、これを見れば一目でわかるようだ。

 艦橋を一眺めした後、順路に従い中のラッタルを降りて艦の内部に入っていった。今まで見た他の艦同様に機関室や食堂が公開されていた。

 そうして、“あけぼの”内を一回りして艦を降りた。次に後方に停泊している“しまかぜ”を見に行った。


 “しまかぜ”は基準排水量4650トンの「はたかぜ型護衛艦」の2番艦として昭和63年に就役した護衛艦で、艦番はDDG172(下図)

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 “しまかぜ”は、第三世代のミサイル搭載護衛艦で、艦番号172ということは、この後に続く“こんごう”型イージス艦1番艦の“こんごう”が173なので、丁度変わり目の艦ということになる。

 “しまかぜ”に乗艦すると、こちらは順路が前甲板からだったので、まずはそっちに行ってみた。
 前甲板では、まず目立つのは主砲の5インチ(128mm)砲で、先ほどの“あけぼの”の砲と比べると、2倍ぐらいの大きさがありそうな感じだ。(下図)

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 次に、艦首には対空ミサイルランチャーがあった。(下図)

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 このミサイルは、この艦にあった説明では“ターター”と書かれていたが、ウィキペディアによると、スタンダードミサイルとなっていた。どちらが正しいのだろうか?

 また、他の護衛艦同様、巨大なアスロックランチャーがあった。(下図)

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 最近の護衛艦では、アスロックもVLSに装備しているものが多いので、こんなものを見ることができるのは、あと何年ぐらいだろうか。

 その後、順路に従い後甲板へと向かった。後甲板では、5インチ砲の脇に変な物が展示されていた。(下図)

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 どうやら化学戦時の防護服と、火災時の耐熱服のようだ。乗組員がこんな物を着ることのない事を祈ろう。

 “しまかぜ”後甲板はヘリコプターの着艦が可能なように広いスペースが設けられていた。(下図)

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 格納庫がないため、固有の機体を搭載していないが、他の艦から連絡などで飛んできたものを載せておくだけの広さが確保されている。

 一番後ろまで行って後方をみると、関門橋と海峡ドラマシップの建物が見えた。(下図)

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 去年までは海峡ドラマシップの前の岸壁に護衛艦も停泊していたのだが、新たな設備ができるため、接岸できなくなったらしい。このため、今年は海上保安庁の巡視船だけが泊まっていた。

 その後、順路に従って“しまかぜ”の内部に入っていったが、なぜか艦橋に上がることがなかった。
 不思議に思い壁に貼ってあった順路図を見てみると、確かに艦橋に上がるコースが書かれていたのだが、そこは立ち入り禁止になっていた。どうやら公開終了の時間が近いので、入場を制限したようだ。

 どうやら“しまかぜ”の見ることができるところは一通り見終わったようなので、ここで艦を降りた。

 海峡ドラマシップの前の岸壁に停泊している海上保安庁の巡視船も公開しているとのことなので、そっちにも行ってみることにした。

 途中、陸上自衛隊の高機動車や軽装甲機動車が展示してあった。(下図)

(高機動車)
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(軽装甲機動車)
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 昨年は高機動車の体験試乗もあったのだが、今年は時間が遅いので、もう終わっているようだった。

 巡視船“はかた”までたどり着いたものの、時間はもうすぐ午後4時になろうとしていたので、乗船はあきらめて写真だけ撮って帰ることにした。

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 この日は天候は申し分なく、現役の護衛艦、それも地方隊所属のDEではなく、DDやDDGを見ることができたので、まずまずの成果といえよう。来年何がくるのかが楽しみだ。


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