March 06, 2005

映画「ローレライ」を見て

 3月5日、この日公開の映画 「ローレライ」を見に行った。

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 少しでも安く見ようとオークションなどで前売り券を入手しようとしたが、前売り券には特典DVDが付いているためか、値段の上がり方が普通では考えられないものになっていたのであきらめた。
 このため、私はマイカルカードを持っているので、少しは安く見ることのできるワーナーマイカル劇場で見ることにした。

★注意事項★
 以下、映画のネタバレが多数ありますので、先入観を持たずに映画を見たい方は、これ以上は映画を見た後にご覧ください。

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 この映画を見て思ったことは、一言で言えば、大小様々な突っ込みどころ満載だなということだろうか。

 まず、某タウン情報誌で、おすぎ氏が言っていたが、いくら海軍では長髪が認められていたといっても、当時の軍人にしては長髪ばかりだという点だろう。
 せめて訓練校から直接来ただろう元回天搭乗員の2人は、丸刈りでないとおかしい。この辺は監督が無知なのか、それとも俳優がわがままを言ったのか判らないが、リアリズムを追求するなら大きな問題点の一つだろう。

 次に、劇中敬礼をするシーンが何カ所かあったが、揃いも揃って陸軍式の敬礼をしている。海軍式の敬礼は、狭い艦内での敬礼なので脇を締めて肘を体に付けるような形で行うのだが、誰一人していない。これは監督もしくは演出が無知なためだろうが、これも問題点の一つだ。

 また、劇中“原子爆弾”という言葉が多数出てきたが、広島に投下された直後の当時は、まだその爆弾が“原子爆弾”ということは判っていなくて“新型爆弾”と呼ばれていた。これは、映画の視聴者を意識してそう言わせたのか、それとも監督もしくは脚本家が無知なためなのかは判らないが、知っている人間が見れば興ざめしてしまう点だ。

 そのほか、信管を抜いた魚雷で敵艦隊を攻撃するシーンがあったが、これも現代のような誘導魚雷ならまだしも、当時の撃ちっぱなしの魚雷では、いくらローレライシステムがあっても移動している敵艦の推進装置だけに命中させることは不可能だろう。

 前4つは、何とか大目に見るとしても、これだけは許せないのが、第3の原爆を積んだB-29を攻撃するクライマックスシーンだ。おそらく画面効果の点からそうしたのだろうが、テニアン基地を飛び立ったB-29を主砲で撃ち落とすのは、レーダー誘導のない大砲では、どう見ても不可能だし、それに主砲塔が旋回して横向きに20センチ砲を撃ったら反動で艦がひっくり返るぞ。
 これはせめて、地上滑走中に射撃して撃破するぐらいにしてもらいたかった。いくら映画の嘘とはいえ、それならもっとうまい嘘をついてもらいたいものだ。

 このほかにも突っ込みどころはあるが、これくらいにしておこう。


 反対に良かった点も上げておくと、まず海中でディーゼル機関は使えない点を理解していたことがある。以前見た「U-571」では、平気で潜行中にディーゼル機関を動かしていたが、そんなことをすれば瞬時に艦内は酸欠になってしまう。
 「ローレライ」劇中で機関長がそのことを指摘していたのは、評価できる。

 また、実際の船では、揺れる艦内で乗員は常に壁を背にするか、どこかに捕まっているのだが、それを意識して演出していた点は良い点だろう。

 そして、音楽は非常に良かった。特に魔女の歌声として米艦隊に恐れられた“モーツァルトの子守歌”は、まさに伝説のローレライの魔女が歌っているようで、背筋が寒くなるような感じがするものだった。
 このため、映画を見終わった後、思わず映画のサントラCDを買ってしまったぐらいだ。

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 この歌は、私はまだ読んでいないが原作では“椰子の実の歌”だったそうだ。映画化の際に“モーツァルトの子守歌”に変わったとパンフレットにあったが、これは正解だったと思う。しかし、日系人のパウラが歌う“椰子の実の歌”もまた味のあるものなので、それも見てみたかったとも思う。

 この「ローレライ」は良い点悪い点いろいろある映画だが、こういう映画が作られたことは良いことだと思う。
 少なくとも、戦後の民主教育という日本人を縛り続けてきた連合国の悪意ある縛めから解き放たれて、これまでタブー視してきた昭和の歴史を客観的に見ることができるようになってきたのだと思われる。これは、近年になくすばらしいことだ。


 最後になったが、このブログのテーマに合わせてゲームについてのことを書くと。

 この映画を見て、今更ながら潜水艦戦のゲームがしたくなった。何か良い物がないか探してみたいものだ。
 しかし、これがその昔だったら、映画公開に合わせてツクダからタイトルそのままの駄作ゲームが作られて、それに騙された人間が数多く出ていただろう。

 幸か不幸か、今となってはその心配はないだろうから、良い物をじっくりと選んでいこう。

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June 20, 2005

映画「戦国自衛隊1549」を見て

 6月19日、何とか「戦国自衛隊1549」を見に行った。

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 本当は公開初日に見に行くつもりだったが、所用で行けなかったので、公開から1週間ほど遅れて見に行った。
 今回も前売り券を買いそびれたので、ワーナナーマイカル劇場で見ることにした。


 ★注意事項★
 以下、映画のネタバレが多数ありますので、先入観を持たずに映画を見たい方は、これ以降は映画を見た後にご覧ください。

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 映画としては、いろいろな意味でカドカワ映画に他ならなかった。これは、まあ想定の範囲内と言えよう。

 内容的には、一言で言えば突っ込みどころ満載だが、特に気になったところだけ挙げていこう。

 まず、タイムスリップが富士の裾野で起こったことは、何も言うまい。だが、3日後の揺り戻しで斎藤道三の家臣“飯沼七兵衛”が現代に現れたのは、どう考えても納得できない。
 これが当時駿河の国を支配していた今川義元の家臣なら、まだ説明がつくが、斎藤道三の家臣が何故富士の裾野にいたのか?

 次に、いくらタイムスリップから2年後のこととはいえ、七兵衛が江口洋介演じる鹿島元二尉に会ったとき、単独で、それも町中で会わせることなどありえないし、七兵衛も現代に順応しすぎている。

 同様に、斎藤道三が信長と共に駿河へ攻め込んでいるのも納得できない。この話が美濃の国(今の岐阜県)か尾張の国(今の愛知県)で起こっているのならまだしも、自分の国を空にして出てこられるほど、近い場所ではない。これは設定に無理がありすぎる。

 映画の中では全く説明が無かったが、陸上自衛隊第3特別実験隊が、ロメオ隊が救出に来るまでの2年間で、どのように行動したかを示すシ-ンでも無いと、この強引な設定には納得がいかず、白けてしまう。

 また、鈴木京香演じる神崎二尉が、鹿賀丈史演じる的場一佐を最初何故撃てなかったのかが作中で何も説明されなかったので、話がぼやけてしまっている。
 おそらく上映時間の都合なのだろうが、この辺の説明は入れておかないとわけが分からなくなってしまう。

 それから、細かい点になるが、映画の終わりの方で、AH-1Jを“カールグスタフ”対戦車ロケット砲で撃墜するシーンがあるが、一言で言えば、“スティンガー”対空ミサイルならともかく、対戦車砲がヘリに当たるわけないだろう。

 それに、カールグスタフを射撃する時、後ろに雑兵が何人かいたが、後方爆風をまき散らす無反動ロケット砲の後ろにいたら、大やけどを負うぞ。
 このあたりは、軍隊経験者がアドバイスするアメリカ映画と違い、演出の無知さ故なのだろう。
 その昔に見た「ダーティーハリー3」では、新人警官が対戦車ロケットを撃つ際に射手の真後ろに立っていたのを、ハリーが横に引きずり出して注意するシーンがあった。武器が身近にあるアメリカ映画ならではの演出だ。

 この他にも、突っ込みどころは数多くあるが、きりがないのでこれぐらいにしておこう。

 反対に良かった点としては、何と言っても今回の映画には陸上自衛隊が全面協力している点だろう。

 昭和に作られた「戦国自衛隊」は、当時まだ自衛隊が秘密主義に徹していたため、劇中に搭乗した61式戦車を始め、車両はブルドーザーなどを改造したものや米軍が民間に払い下げたM3A1ハーフトラックを使っていた。
 それはそれでおもしろかったのだが、リアルさと言う点では、本物を使っている今作の方に軍配が上がる。

 また、半村良の原作および前作では、燃料弾薬が補給できないという問題が最後までついて回っていたが、今作ではタイムスリップした陸上自衛隊第3特別実験隊は石油精製所まで作っていた。
 富士の裾野に原油が出るのかと言う点は置いておくとしても、補給が確保できているという点は原作を踏まえているし、それに代わる制限としてロメオ隊には、揺り戻しで現代へ戻るために3日しか猶予がないという時間制限が加えられている。これは時間無制限ではダレる恐れがあるので、良い演出だろう。


 それから、これは良い点かどうか判らないが、最初に言ったように、この映画はカドカワ映画に他ならず、大勢の鎧武者が駆け回り、爆発シーンが随所にある派手な映画で、これだけやれば今時の子供でも見ることができるだろう。
 また、パンフレットの記述によると、非番の自衛隊員が二百数十名もエキストラとして参加したそうだ。それだけあって、ラストの群衆シーンはさまになっていた。


 ざっと見ていったが、この映画は角川グループ60周年記念作となっていた。このため、通常の3倍もの金をかけて作ったらしい。
 前作から二十数年経った今、前作と全く同じものを作るのは芸がないということなのだろうが、半村良の原作が一番好きな私としては、せっかく自衛隊の協力が得られたのだから、大元の原作に忠実に作り直してもらいたかった。それだけが残念な点だ。

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July 30, 2005

映画「亡国のイージス」を見て

 7月30日、この日公開の映画「亡国のイージス」を見に行った。

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 今回は、前売り券を買い、気合いを入れて朝10時の初回に見に行った。開始ぎりぎりにシネプレックスに滑り込んだのだが、幸いまだ席に空きがあったので、なんとか座れた。
 席について、辺りを見渡すと、観客に白髪交じりの老人が多いように見えた。映画のテ-マから、もっと若い層が多いと思っていたのだが、これは意外だった。

 映画のストーリーについては、ここでは詳しく述べないが、気づいた点について少し述べていこう。

★注意事項★
 以下、一部映画のネタバレがありますので、先入観を持たずに映画を見たい方は、これ以上は映画を見た後にご覧ください。


 まず、この映画は海上自衛隊および航空自衛隊の全面協力によって作られている。このため、護衛艦“いそかぜ”やF-2戦闘機などの登場するシーンは、実写が多用されて非常に迫力があった。
 もちろん、CGや特撮のシ-ンもあったが、あら探しをしようとして見るのならともかく、普通に見ている分には、あまり違和感を感じなかった。それだけ良くできているのだろう。

 ただ、俳優の演義で気になったのは、ローレライの時と同じく敬礼の仕方がなってなかったことだ。細かい所だが、この点はスタッフに軍隊出身者がいる外国映画と比べると、どうしても見劣りする所だ。

 また、映画の嘘は、ある程度は目をつぶるとしても、どうしても疑問符が付くのは、DAIS工作員の如月行が仕掛けた爆薬が処理されていなかった点だ。
 ストーリーのご都合なのだろうが、いくらコントロラーを奪ったとはいえ、艦を沈めるほどの爆薬を放置しておくとは普通なら考えられない。海上自衛官や北の工作員は、そこまで無能では無かろう。
 この爆薬を使って寺尾聡演じる宮津副長が、石油コンビナートへ向かって暴走する“いそかぜ”を爆破するクライマックスシーンは、さすがに“ちょっと待てー!”と心の中で叫んでいた。

 この点を除くと、この映画は、楽しめる非常に良いアクション映画だった。
 真田広之演じる千石恒史は、まさに中年の星とも言える格好良さで、俺もあんなオヤジになりたいなと思わせてくれた。

 今年公開された、福井晴敏原作の映画3本の内、この「亡国のイージス」は、一番できが良かったと思う。
 これからもこんな映画を見たいものだ。

 蛇足ながら、前売り券のおまけにもらったミニイージス缶(下図)は、まだ開けていない。

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 中身は携帯クリーナーらしいが、近年にないおもしろい映画を見た記念に取っておくことにしよう。

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August 20, 2005

映画「ヒトラー~最期の12日間」を見て

 8月20日、この日公開の映画「ヒトラー~最期の12日間」を見に行った。

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★注意事項★
 以下、一部映画のネタバレがありますので、先入観を持たずに映画を見たい方は、これ以上は映画を見た後にご覧ください。


 この映画は、既に各地で公開されていたが、私の住んでいるところでは、この日からだった。
 その上、シネプレックスのミニシアター扱いだったので、前売り券の発売がなく、多少割引を使ったとはいえ、まともに料金を払わされた。
 この日は朝9時40分の初回に行こうと思っていたが、用事ができて12時55分からの2回目に行った。
 シネプレックスには30分ぐらい早めに着いたのだが、なんと入場制限のため、整列してくださいと言われた。
 劇場は昨今の韓国映画並の取るに足りないものとして扱っているが、かなり注目度の高い映画と言うことが、このことでも判る。
 列に並んで周りを見渡すと、老若男女いたことはいたが、高校生ぐらいと思われる者数名以外は、白髪交じりの老人ばかりのように見えた。この映画のテーマから言って、これは仕方がないのかもしれない。


 映画の内容だが、この映画、“最期の12日間”とサブタイトルが付いているだけあって、赤軍のベルリン攻撃の直前からが主な舞台となる。
 ここでのヒトラーは、既に怪医モレルの処方した麻薬同然の薬の影響か、ニュースフィルムなどで見る面影はなく、憔悴し終始左手がけいれんを起こして震えていた。

 また、赤軍がオーデル川を越えてベルリンに砲撃が始まってから、彼の側近達が繰り広げた乱痴気騒ぎを見ていると、その昔「ディアハンター」という映画で見たサイゴン陥落直前の様子に似ていることに気づいた。
 国家の崩壊が足音を立てて近づいてきている状況で、人間のすることは変わらないと言うことだろう。

 そのほか、ヒトラーがエヴァ・ブラウンからベルリンを脱出するように勧められたとき、「野宿したり農家に隠れているところを捕まるのは嫌だ」と言っていたが、これはサダム・フセインを意識して作られたセリフだろう。

 また、この映画、タイトルからヒトラーの自殺で終わる者と思っていたが、その後も話は続き、ゲッペルス夫妻が幼い子供達を毒殺してから自殺し、ドイツが降伏した後、赤軍の包囲下をヒトラーの女秘書トラウドゥル・ユンゲが脱出するまで描かれていた。
 原題が“DER UNTERGANG”、英語題も“DOWNFALL”なので、そのまま訳すなら“第三帝国の崩壊”とでもなるのだろうが、やはりそれでは一般の観客にアピールできないろうから、ヒトラーの名を冠したのだろう。

 しかし、この映画も最後に疑問符が付いた。軍服を着て変装したトラウドゥル・ユンゲが、武装解除後に赤軍の中を歩いていくシーンは、どうにも納得ができない。
 いくら軍服を着ていたとはいえ、髪の長いままでは、絶対に女だと見破られてしまうはずだ。少なくとも疑問に思う兵士は1人2人ではないだろう。
 それなのに、各地で略奪暴行を欲しいままに行った悪名高い赤軍兵士が素通しするとは絶対に思えない。女だとばれた時点で、物陰に連れ込まれて集団レイプとなるのは歴史が物語っている。

 これは映画の嘘で、長髪は映像美のためなのかもしれないが、髪を短く切り、顔も泥で汚すなどして、もっと変装を完璧にしておく必要があったと思われる。
 他国(ロシア)に配慮したのかもしれないが、これは気になった点だ。(別にレイプシーンが見たかったわけではない。)

 その他には、この映画はドイツが最大のタブーに挑んで作った映画だとパンフレットの解説に書いてあったが、やはり他国への配慮からか、意図的にヒトラーを悪者にしているのではないか、必要以上に変人に仕立て上げていないかと見ていて思った。

 この点は、ヒトラーにある程度好意的に書かれている水木しげるの“コミック ヒットラー”を併せて見ると良いかもしれない。(下図)

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 映画を見終わって、いつものように売店でパンフレットを買ったが、スターウォーズなどと比べて、値段の割に薄いので、その時は我が目を疑った。(下図)

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 しかし、この映画がミニシアター扱いであることも併せて考えるに、これが日本におけるヒトラーという人物に対しての扱いなのかもしれない。
 しかし、劇場が文字通り大入り満員だったという状況は、それが間違っていることを表しているのだろう。

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December 24, 2005

映画 「男たちの大和/YAMATO」を見て

 12月24日、先週から公開されている映画 「男たちの大和/YAMATO」(以下「男たちの大和」と表記)を見に行った。

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 本当は公開初日に見に行くつもりだったが、所用で行けなかったので、公開から1週間ほど遅れて見に行った。今回は前売り券を買っていたので、少しは安く見ることができた。
 冬休みに入ったせいもあるだろうが、劇場は満員に近い大入りだった。


★注意事項★
 以下、映画のネタバレが多数ありますので、先入観を持たずに映画を見たい方は、これ以上は映画を見た後にご覧ください。

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 この映画を見て思ったことは、これまで見た福井晴敏原作の3部作などとは一線を画すものだということだ。福井晴敏3部作は娯楽映画だが、この映画は魂を震わせる。

 とはいえ、やはりリアリティという観点から見ての問題点は多数あった。

 まず、これは「ローレライ」の時から言っているが、劇中敬礼をするシーンで、敬礼が海軍式になっていない点だ。細かいことかもしれないが、このちょっとしたことで映画のリアリティが増すのだから、演出の問題点の一つだ。

 次に、劇中“大和が沖縄に行く”という言葉が多数出てきたが、このことは重大な軍事機密のはずで、民間人が知るはずのないことだ。
 現代の私たちは、大和が沖縄に水上特攻することは知っているが、当時の民間人が知っていてはおかしいことだ。それ故に、沖縄という言葉が出てくるはずがない。
 もし、そんな風に市井に噂が流れているとしたら、いかに大戦末期とはいえ、艦隊の出撃目的地が漏れているのでは、海軍の機密保持能力は無きに等しいと言うことになってしまう。
 これは脚本家の重大な手落ちだろう。

 そのほか、劇中“死ぬな”と言うシーンが多数あったが、当時の日本でその言葉を口に出して言った人は、そう多くなかったはずだ。
 軍人、民間人を問わず、家族や部下に心の中では“死ぬな”と何万回も言っていただろう。だが、戦陣訓の戒めがあった当時の軍組織や日本社会では、それを口に出したら非国民の誹りを受けていたはずだ。
 乗組員の母親など民間人はともかく、大和乗組員には、この言葉は総員退艦命令が出た後に言って欲しかったし、もし言うなら“死ぬな”ではなく“生きろ”と言って欲しかった。

 以上、細かい点かもしれないが、この映画を見ていて気になったところだ。もちろん、これらは些末なことであり、この映画の本質を貶めるものではない。


 反対に良かった点も上げておくと、新兵の乗艦時やレイテ戦の戦死者を水葬する際などの群衆シーンで、敬礼などの行動が揃っていた点だ。
 現代の日本人は、戦後の民主教育と称する愚民化教育により集団行動ができなくなっているので、群衆シーンでエキストラの統制がとれていない映画が多い。
 この映画ではこれらの行動がしっかりと一致していたのが素晴らしい。これは相当時間を取ったろう。
 と思ったら、パンフレットによると、これは海上自衛隊の自衛官がエキストラ出演しているシーンのようだ。それなら当然か。
 その他、少年兵役の30名が海上自衛隊に体験入隊して基礎をたたき込まれたとあった。この映画は若手俳優の教育にも気を配っているようだ。

 また、この映画の最大の良いところは、戦前にはあった日本人の美意識、言い換えるなら日本人としての誇りが描かれていたことだろう。
 占領軍の悪意ある占領政策と教育界に巣くう左翼勢力による戦後教育により、いわゆる団塊の世代以降の者が失ってしまった日本人の心をこの映画は示してくれた。

 “自分さえ良ければ人のことなどどうでも良い”という北斗の拳に出てくる小悪党のようなモラルのない民族になってしまった戦後の日本人を見て、彼らはどう思っているのだろうか。

 この話題をこれ以上続けていくと、“亡国のイージス”になってしまうので、これで止めておく。


 それから、この映画の音楽は非常に良かった。久石譲のBGMは“風の谷のナウシカ”から聞いているが、この映画でも良い仕事をしている。
 映画を見終わった後、「男たちの大和」のサントラCDを買いに行ったが、その店にはなかったので、長渕剛が歌ったエンディング曲のCDを買ってしまった。(下図)

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 この「男たちの大和」は、現代日本映画の弱点である“戦争を賛美する表現をしてはいけない”という呪縛が残っているようだが、それでも私の心には十分に響いてきた。

 ここで全ての日本人に対して、声を大にして言いたい。

 「日本人ならこの映画を見ろ!そして泣け!!」

 それが、大和と運命を共にした乗組員の他、帰らぬ英霊達への供養となるだろう。


 今回、映画を見終わった後、売店でパンフレットを買おうとしたら売り切れだった。こんなことはこれまで無かったことだ。
 この映画は、それだけ多くの人の魂を震わせたのだろう。

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March 22, 2006

映画 「シリアナ」を見て

  3月21日、映画 「シリアナ」を見に行った。(下図)

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 以下、映画のネタバレが多数ありますので、先入観を持たずに映画を見たい方は、これ以上は映画を見た後にご覧ください。

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 この映画は、元CIA工作員のロバート・ベアが当局の検閲をくぐり抜けて書いた「CIAは何をしていた?」(和訳は新潮社刊)と言う暴露本を元にした映画で、簡単に言えばアメリカの石油会社が中東某国に持つ利権を中国奪われることを阻止するため、その国の次期国王候補として有力な長男を廃し、無能な次男を担いで、自分たちの傀儡国家を作り上げようと陰謀を張り巡らせるといったものだ。

 古今、中東では火種が絶えないが、それは常に石油を自分たちの支配下に置いておきたい“世界の悪徳商人”ことアメリカの石油会社と“世界の悪徳保安官”であるアメリカ政府が行ってきた陰謀が原因であることを伺わせられる。

 映画の中では具体的な国名は出てこなかったが、この某国がサウジアラビアを指しているだろうことは容易に想像がつく。
 実際、あの国は一応王家はサウド家だが、他にも有力部族がいくつもあり、部族間で抗争が絶えないと聞いたことがある。


 しかし、この映画を見ていて、あまりおもしろい物ではなかった。その原因は主人公だろうと思われる人物が、4人(CIA工作員、投資会社の社員、石油会社の雇われ弁護士、パキスタン人出稼ぎ労働者)いるが、その4人の視点を前触れ無しで次々に脈絡無く変わっていくので、話を把握することが非常に困難なことだろう。
 その上、最後に誰一人幸せになった者がいない、昔のフランス映画のような見る者を選ぶ作りも原因の1つだ。

 なぜこんな作り方をしたのか疑問だったが、この映画は娯楽性より、アメリカという国の悪どさを告発することを目的とした物だと考えると納得がいく。
 最近では、アメリカという国は、国際社会に認められた独立国を自らのエゴに従わないだけで“悪の枢軸”と呼び、侵略戦争を仕掛けるような国だということが一般にも知られてきたが、この映画では、フィクションながら、その陰謀の一端を、見ることができる。

 万人向けではないが、このような映画も必要なのだろう。

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April 08, 2006

映画 「大統領のカウントダウン」を見て

 4月8日、映画 「大統領のカウントダウン」を見に行った。(下図)

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 この映画は、ソ連邦崩壊後、欧米の後塵を浴びてきたロシア映画界が満を持して公開したアクションムービーで、700万ドルの巨費とロシア軍全面協力の元に作られた世界戦略作だとポスターのアオリ文句にあった。

 ストーリーとしては、実在するGRU諜報員アレクセイ・ガルキンをモデルとしたもので、この映画の主人公スモーレン少佐の部隊もガルキンと同じくチェチェン紛争に参加し、ゲリラの捕虜になり、そこで拷問と麻薬漬けにされ自分の部隊がFSB(ロシア連邦保安局)の命によりテロを行ったと偽証させられ、それをビデオに撮られてしまう。

 その後、スモーレン少佐は脱出に成功するが、チェチェン独立派ゲリラと「アンサール・アラー」というアラブ系テロリスト達は、モスクワでサーカスを占拠してロシア政府を脅迫し、その際に偽証ビデオを公開してFSB当局の権威失墜を狙う計画を立てる。

 そして、計画は実行され、サーカスがテロリストによって占拠され、観客を人質にとり、爆弾を仕掛けた。
 サーカス会場には、スモーレン少佐の娘がいて、少佐は人質を救出するべく、単身テロリストの待ち受ける中へ乗り込んでいく。

 ここまではテロリスト達の当初の筋書き通りだったが、「アンサール・アラー」には、味方のチェチェン独立派にも知らせていない別の目的があった。
 それは、この時ローマで行われている“世界テロ対策会議”を妨害することだった。

 果たして、人質達の運命やいかにといった感じで映画は進んでいく。

 これは、一言で言ってしまえば、スチーブン・セガールの「沈黙の戦艦」のようなアクション映画だ。
 しかし、ただアクションのみの映画になっていないところが、ハリウッド映画との違いだろう。日本人には馴染みの薄いチェチェン紛争を背景としたゲリラ達、それと連携を取るように見せかけて、自らの目的のためには、味方をも裏切るアラブ系テロリスト達など派手なアクションを売りとした脳天気なハリウッド映画では、絶対に登場しないようなキャラが敵味方共に登場している。

 また、この映画に登場する「アンサール・アラー」のモデルはアルカイダだということは、指導者にビン・ラディンに似た俳優を起用していることから容易に想像がつくが、ラスト前にアラブの訓練キャンプを米軍が爆撃して壊滅させたのは、蛇足だと思う。
 それでもビン・ラディン似の指導者が逃げおおせているのは、ハリウッド映画と違うところだろう。

 この他、この映画にはロシア軍全面協力だけあって、登場していた装備は全て本物で、ハリウッド映画に良く出てくる本物らしい偽物ではない点が非常に新鮮だ。

 などと、いろいろ良い面を上げてきたが、気になった点を上げておくと、このテーマの映画はロシア製という意味では貴重なのだが、世界的に見れば、これまでランボーを始めとしてさんざん作られてきたテーマになり、そう言う意味では2番煎じ3番煎じになってしまう。
 このためか、この映画は、シネプレックスでは2週間限定のミニシアター扱いとなっていた。以前見た「ヒトラー~最期の12日間」もそうだったが、こういう映画は興行的にはメリットがないのだろうか。

 また、エンディングクレジットで流れる音楽が、30年以上前の日本のフォークソングそっくりなのには驚いた。
 ダミ声のロシア語で歌っていたものの、曲としては吉田拓郎あたりの歌にそっくりだった。
 以前、雷波少年でブルーム・オブ・ユースの“ラストツアー”という企画でシベリア鉄道をミュージシャンが旅していたが、この時ロシア人に受けた日本の歌が、「恋のバカンス」だったのも納得してしまった。


 ロシアという国は、ソ連邦時代の鎖国政策により文化的には日本と比べると大きく遅れてしまったようだが、この映画をきっかけとして更なる飛躍を遂げてもらいたいものだ。

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June 10, 2006

DVD ロード・オブ・ウォー

 今日、Amazonに予約していた映画 「ロード・オブ・ウォー」のDVDが届いた。(下図)

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 この映画は、以前映画館に見に行ったが、色々な面でおもしろかったので、是非DVDを手に入れたいと思っていた物だ。今回購入したのは初回版で計65分の映像特典(スタッフインタビュー、未公開シーン、メイキング、その他)を始めとして特典が多数付いていた。(下図)

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★注意事項★
 以下、映画のネタバレが多数ありますので、このDVDを購入を考慮されている方で先入観を持たずに見たい方は、これ以上は購入後、映画を見た後にご覧ください。


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 ざっと内容を言うと、これは旧ソ連のウクライナから家族と共にアメリカに渡ったユーリー・オルロフが武器売買に手を染めて、徐々に成り上がっていく所が描かれている。

 最初は、街のギャングにウージー・サブマシンガンを売っていたが、彼はより多くの儲けを狙って、海外へと手を伸ばす。

 1980年代当時は、冷戦の真っ最中で、武器市場も国家と国家の御用商人が独占していて、最初は相手にしてもらえず、細々とアフリカのゲリラや南米の麻薬王と取引するほかなかったが、やがて転機が訪れた。

 1991年ソ連邦が崩壊し、その混乱で対西用の備蓄兵器が大量の余剰兵器となった。
 これに目を付けた彼は、叔父がウクライナで陸軍の基地司令官をしているツテを頼り、そこで大量の兵器、AK47を始めとする小火器、T-72戦車、ハインド戦闘ヘリなどを買い付けていった。

 その後も彼は旧東側諸国で武器、特にAKを買い付けてアフリカへ持ち込んだ。

 しかし、何事もそう簡単にうまくいくはずがなく、彼はインターポールのバレンタイン刑事に目を付けられた。
 バレンタインは、ルパン3世の銭形警部並のしつこさでユーリーを追い、南米で、東欧で、アフリカでと彼の前に立ちふさがったが、ユーリーは何とか捜査をかわしていった。

 そうして、フリーランスの武器商人として着実にのし上がってきたユーリーだったが、相棒だった弟を失い、親には絶縁され、妻子に逃げられた後、バレンタインに逮捕されると末路は哀れだった。

 映画の性質上、ユーリーを大金持ちになってハッピーエンドとするわけにはいかないのだろうが、絶頂期を迎えた後、転落する様は、ホリエモンを始めとする昨今のIT関連企業や株式ファンド企業の社長達と重なって見える。

 しかし、ホリエモンなどと違い、ユーリーは政府機関との繋がりが深く、すぐにシャバに戻ってきて、今日も武器を世界中に売り歩いているところで映画は終わる。


 もちろん、このユーリー・オルロフは架空の人物だが、モデルになった人物は実在している。そのことは、DVD初回特典の小冊子(下図)に書いてあった。

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 しかし、この特典小冊子というのが、映画パンフレットを小さくしただけの物だった。
 これは映画館でパンフレットを買った者には全く無用の物で、むしろパンフレット代を返せと言いたくなってくる。
 今後は、このような安易な特典を付けるのは止めてもらいたいものだ。

 だが、映像特典には見るべき物がたくさん収録されていた。
 特にメイキングで、武器庫のシーンを撮影する際、3千丁のAKを集めたが、模型より本物の方が安かったので、それを買って撮影に使った後、売り払って制作費の足しにしたという話には驚いた。

 映画の内容は当然だが、これらの特典も合わせて、このDVDは買って良かったと思う一品だった。

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July 29, 2006

映画「ゲド戦記」を見て

 7月29日、この日公開の映画「ゲド戦記」を見に行った。

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 この映画は、スタジオジブリ作のこの夏一番の話題作で、原作の大ファンである私にとっては、制作が決まったときから多くの期待と少しの不安が入り交じったものだった。もちろん前売り券も発売と同時に買っていた。

 この日は、朝一番の上映から見に行った。これは、一刻も早くみたいというのもあるが、映画館で大声を出して騒ぐ、昨今の躾の悪いガキ対策でもある。


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 以下、一部映画のネタバレがありますので、先入観を持たずに映画を見たい方は、これ以上は映画を見た後にご覧ください。


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 この映画、おそらく商売上の理由から事前に数多くの情報が流されている最近のジブリ映画の例に漏れず、書店には原作を始め関連本が山積みになり、ジブリのサイトでは監督自身の制作日記を始めとする、制作状況のお知らせなどが氾濫しているので、先入観ぬきで見ることが、なかなか難しくなってきている。
 それらを取捨選択して、あまり余分なもの(特に、無責任な批評の類)をカットしてきたが、それでも前情報として、この映画は“宮崎駿”氏の息子“宮崎吾朗”氏が監督すること、原作の第3巻「さいはての島へ」(下図)を元にしているということが判った。

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 なぜ監督が宮崎駿氏じゃないのか、まずその点に疑問が湧いた。氏は、20年以上前「風の谷のナウシカ」の頃から、この原作を映画化したいと公言していた。
 おそらく、世界中探しても氏をおいて他に映画化できる人物はいないと思っていた。それが別の人、それもこれまで建築家や三鷹にあるジブリ美術館の館長をしてきた息子の宮崎吾朗氏と聞いたとき、私の中に“なぜ?”という言葉があふれ出た。おそらく誰もがそう思ったことだろう。

 このあたりについては、ジブリのサイトで宮崎吾朗監督自身や鈴木敏夫プロヂューサーが語っているので詳しくは言わないが、監督日誌の第1回に高校生の頃ゲド戦記を読んだとき第1巻の「影との戦い」(下図)が一番おもしろかったと書いてあったことに共感を感じた。

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 どうやら、この人物は私が最初にゲド戦記を読んだときと同じ感覚を持っているようだ。それならば、できあがりを見てから文句を言ってもいいだろうと思ったので、公開を待つことにした。

 その後、公開が近づくに連れ、各メディアでの宣伝が多くなり、否が応でも露出された情報に接していくと、登場人物にテナーとテルーの名前があったのに驚いた。

 “待てー!テナーとテルーが出てくるのは第4巻の「帰還」(下図)だろう!!”

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 内心、そう叫びながら、また“いったいどんな仕上がりになるんだ?”という疑念と共に公開までの日々を過ごした。


 そして今日、満を持して見に行ったところ、シネプレックスでは一番大きい劇場での上映と、これまで見たものと比べても優遇されていた。
 しかし、上映が始って、宣伝が流れている間に劇場を見渡してみると、人の入りは満員とは言い難い状態で、せいぜい7分から8分の入りだった。
 スタジオジブリ制作とはいえ、宮崎駿ブランドなくしては、客の入りも落ちるようだ。


 さて、肝心の内容だが、冒頭の嵐に遭った船のシーンで、風の司が魔法が効かないと漏らした。その上空では2匹の竜が共食いを行っていた。世界に何か異常事態が起こっている。そう思わせるに十分なオープニングだ。

 場面は変わって、エンラッドの国。ここでも異変は起きていて、家畜の大量死に続き新生児の死亡が増えてるとの報告が御前会議であり、それを憂慮し対策を講じようとする王。
 その王を刺し、王の剣を奪って逃走する王子アレンと物語は進んでいく。

 ここで、はて?と思った。「さいはての島へ」では、王子アレンは王の命により世界の異常の原因を明かすべく派遣されたはずなのに、親殺しの逃亡犯になっている。これは一体どういうことだ?


 深く考える暇もなく、場面は“はてみ丸”に乗ったゲド(ハイタカ)が砂浜に到着するシーンになる。
 ここで、陸に乗り上げて朽ち果てた巨大な船が出てくるが、これを見た瞬間、このシーンは見たことがあると思った。
 そう、これは宮崎駿氏の「シュナの旅」(下図)の1シーンだ。

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 そう思いながら見ていくと、ゲドとアレンがたどり着いた大都市ポートタウンのシーンもシュナの旅に出てきた街と似ている点が多くあった。特に人狩りが奴隷売買をしているシーンは、シュナの旅そのものだった。

 ポートタウンで、アレンは何かに怯えているような素振りを見せる。何か得体の知れない恐ろしいものに追われて逃げている。捕まれば終わりだ。そういった怯えが感じられた。

 はて?これは、「影との戦い」のゲドではないか?


 そうして物語は進んでいき、テナーの家にたどり着く。そこには親に虐待されて捨てられた少女テルーが居た。これはまさに「帰還」の話だ。
 どうやら、この映画は「さいはての島へ」だけでなく「帰還」も混ぜているようだし、この後、アレンは迫り来る影に怯え、苦しめられる。これも「影との戦い」でゲドの役回りだったところだ。

 宮崎吾朗監督は、どうやらこの映画に原作の持つ全てのエッセンスを詰め込んでいるようだ。いくら何でも欲張りすぎやしないか?

 原作「さいはての島へ」では、ゲドとアレンはポートタウンを離れ、西の果てにある島へと旅立っていくのだが、この映画ではそれは無く、町はずれにある、魔法使い“クモ”の館での戦いとなった。
 魔法使いクモは、かつて禁忌を犯し、金次第で死者の魂を呼び出す術を使っていたのを、ゲドによって懲らしめられたことを逆恨みし、今度は生死の境を隔てている扉を開けることにより、不死の力を得ようとしていた。

 原作では、ゲドとアレンは竜のオーム・エンバーと共にクモと対決し、黄泉の国へと行き、生死両界を隔てている扉を閉めるのだが、映画ではこのシーンはなく、「帰還」にあったような、ゲドを城壁の上から突き落として殺害しようとするクライマックスとなっていた。

 私が一番のシーンだと思っている黄泉の国での対決を、映画では削られたのは、大いに不満だった。

 何より、“ゲドが主役じゃない映画をゲド戦記と呼んで良いのか?”という点が最大の問題点だろう。

 また、この映画ではゲドは“大賢人”と呼ばれていた。確かに原作でもそう呼ばれていたのだが、彼にはもう一つ呼び名があった。それは“竜王”といい、竜と話のできる者という意味だ。

 ゲド戦記の世界アースシーでは、現実の世界と異なり、竜が実在する世界だ。もちろん、竜は人間以上の知性体なので、無益な争いを避けて人間とは棲み分けをしてるため、人の目に触れることはほとんど無い。
 しかし、まれに人間界へやってきて災いをまき散らす無頼の徒もいて、これらと交渉し、場合によっては撃退できるだけの力を持った者だけが“竜王”と呼ばれる。

 映画では、竜そのものが、あまり登場しなかったため、ゲドの持つ力が発揮されることがなかったことも不満の一つだ。
 

 さて、ここまで、映画を見ての原作との相違点や不満点を上げてきたが、ここでふと思った。

 これらの感想は、あくまで私が原作、それも第3巻「さいはての島へ」までのファンであり、これまで読んできた内容が、全て私の目にフィルターとして掛かっているためであることは間違いないだろう。

 このフィルターを完全に払拭することは不可能だが、自分なりに中立的な考えをしてみると、宮崎吾朗監督が、この映画「ゲド戦記」で描きたかったのは、アースシーの世界に仮託しているが現代社会の病巣ではないかと思われる。
 アレンの親殺しや、テルーの受けた虐待やネグレスト(育児放棄)などは、最近の日本でも問題となってきていることであり、これまでバランスを保ち健全だった人間社会が音を立てて崩れ始めたことに他ならない。
 もちろん、この問題はアニメーション映画を見る年齢層の大多数を占める中学生や高校生には重すぎる課題であるが、それぐらいの年齢から問題意識を持たないと、解決することができないこともまた事実だ。
 果たして、宮崎吾朗監督が、そこまで考えた上で作ったのかは判らないが、の映画の裏にはそこまで考えさせられるものがある。

 では、もし、このフィルターのない人がこの映画を見たとき、果たしてどんな感想を持つのだろうか?
 可能なら、原作を知らない人の感想を聞いてみたいものだ。おそらく、そこにこの映画の真の評価が現れるだろう。


 また、おそらく誰もが思うことだろうが、この映画を宮崎駿氏が監督をしていたらどんなものになっただろうか?

 こちらは、ある程度想像がつく。宮崎駿氏は、どうも最近(具体的には紅の豚以降)作家としての力が衰えてきているのではないかと思われる。
 例えば、「ハウルの動く城」は、昔の作と比べると映像はきれいになったが、内容が薄く、話の流れも強引で、見ていておもしろくなかった。

 また、「ハウルの動く城」にしろ、「千と千尋の神隠し」にしろ、魅力的な悪役が欠けている。
 荒地の魔女も湯婆婆も当初は悪役として描かれていたが、突然善人になってしまい、興ざめしたキャラクターに成り下がった。
 やはり「ルパン3世カリオストロの城」に登場したカリオストロ伯爵に匹敵する悪役の存在が、物語を引き締めるのだが、近年の宮崎駿氏の映画には、どういうわけかこの点が欠けてきた。

 それに対して、「ゲド戦記」では、魔法使いクモという、カリオストロ伯爵に比べれば粒は小さいが諸悪の根元のようなキャラが存在し、非常に楽しめた。その点は宮崎吾朗監督を評価できる。

 これらの事から考えるに、「魔女の宅急便」以前、それこそ「風の谷のナウシカ」の頃の宮崎駿氏だったら、もっと良いものが作れただろうと思うが、最近の宮崎駿氏では、もっと出来の悪いものになったと思われる。


 この他、エンディング・クレジットまで見ていると、原作「ゲド戦記」の他に原案「シュナの旅」と表示されていた。
 後からパンフレットを見ても、そのことは書かれていて、『映画「ゲド戦記」は、心と体はル=グウィンから、そして骨は宮崎駿からもらった。』とあった。
 骨に当たる部分は、「シュナの旅」だけでなく、「風の谷のナウシカ」もあると思うのは私だけではないだろう。


 結論としては、この「ゲド戦記」は私が期待しているような映画ではなかった。だが、完全な失敗作と片づけてしまうこともできないものでもある。
 あえて言うなら、似たようなテーマの映画では、私は「風の谷のナウシカ」の方が好きだし、良かったと思う。それが私の素直な感想だ。

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February 03, 2007

映画 「墨攻」を見て

 2月3日、この日公開の映画 「墨攻」を見に行った。(下図)

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★注意事項★
 以下、映画のネタバレが多数ありますので、先入観を持たずに映画を見たい方は、これ以上は映画を見た後にご覧ください。

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 この映画は、日本のコミック(およびそのまた原作の小説)を原作とした日・中・韓・香港の合作映画で、制作は中国が主体となって行われている。
 私は、酒見賢一の小説、森秀樹のコミックも愛読していて、今回の映画も非常に楽しみにしていた。

 ストーリーとしては、原作コミック3巻までに沿ったもので、戦国時代の大国趙と燕の間に位置する小国梁が趙の大軍に攻められた時、梁王は守城戦で名高い墨家に助けを求め、それを受けて墨家の一員である主人公の革離が梁城に到着したところから物語は始まる。

 革離は、降伏に傾いていた梁城の人々を徹底抗戦へと意志統一し、城の防備を固めてるべく指導を行い、甕城の構築をはじめ、数々の仕掛けを駆使して10万もの趙軍を撃退していった。

 その後、情勢の変化で趙軍は本国へ引き揚げざるを得なくなり、梁は救われたかに見えたが、梁の民の信頼厚い革離を梁王は疎ましく思い、いずれこの城を乗っ取るつもりではないかと猜疑心を強めていき、ついには革離を亡き者にしようと陰謀を巡らせていった。

 果たして革離の運命やいかにといった感じで映画は進んでいく。


 この映画を見たとき、その戦闘シーンでのエキストラの数の多さには驚いた。同じような攻城戦のシーンがあったロード・オブ・ザ・リング「王の帰還」では、CG合成で1列だけのオークを数十列もあるようにしていたが、この映画では中国人民解放軍の協力によりすべて人間でまかなっていた。
 さすが人件費が安い中国が作っただけある。これは日本映画では真似できない。

 また、原作には登場しない映画オリジナルの脇役たち、特に女騎馬武者の逸悦と弓兵隊長の子団は、重要な役回りをして、なかなか良い味を出していた。
 特に逸悦は原作からは少々脱線したキャラだが、墨家として完璧とも言える革離の人間的な面を引き出す役回りをしていた。
 これは原作の雰囲気を壊さない範囲でのことなので、十分評価できる。

 また、城内に通じる坑道を掘っていた奴隷に黒人を使っていたのには驚いた。これは戦国時代当時、すでに黒人の奴隷が中国にいたとの資料に基づいているとパンフレットに書いてあった。
 彼は、アジア系の俳優の中で一人異彩を放ち非常に印象が強かった。


 などと、いろいろ良い面を上げてきたが、気になった点を上げておくと、主演のアンディ・ラウは、革離役としては美形すぎる点だろう。
 原作のコミックのファンとしては、革離はもっとオッサンくさい風貌でないといけないのだが、これは映画の興行上しかたがないのだろう。

 また、原作にあった投石機で城内に兵隊を送り込むシーンがなかったのは残念だった。あれをいったいどのように再現するのか楽しみだったが、あっさりとカットされていた。

 これまで中国映画といえば、国策映画か香港映画の流れを汲んだ派手なワイヤーアクションがウリで、ストーリー的に内容がないものと思っていたが、この映画を見て認識を改めた。

 たしかに原作は日本製だが、それを映画化したパワーは中国ならではのもので、このおもしろいがマイナーな墨家というテーマを日本では映画化など絶対にできなかっただろう。

 これからは中国映画もチェックしておくことにしよう。


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