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November 13, 2005

9月18日 海外紀行 ウラジオストック その5

 バスで移動中、山の中腹あたりに砲台が見えると説明を受けた。(下図)山の真ん中当たりに何か映っているが、これが何かは後で画像を拡大してみないと判らなかった。

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 そうしてバスに揺られてしばらくたった頃、途中にあった海事学校でトイレを借りた。その時、1台の車が通りかかったが、そのドアには日本語の文字が書いてあった。(下図)

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 ウラジオ市内では、佐川急便の塗装がそのままのトラックを見かけたが、いくら日本の中古車を多数輸入していると言っても、営業用の塗装をそのままにしてるとは、ロシア人はこれらの塗装を模様とでも思っているのだろうか?

 そして、再びバスに乗り、ルースキー島の反対側にある要塞に着いた。ここには巨大な砲台があった。(下図)

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 この砲台は、戦艦から降ろした砲塔をそのまま持ってきたそうで、クレーン車など無い当時、こんな山奥までどうやって運び込んだのだろう。

 この砲台から少し離れたところに、もう1基同じような砲台があった。(下図)

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 バスの中から遠目に見えたのは、こっちの砲台のようだ。
 この砲台の手前に下に降りる階段があり、そこから要塞内部に入れるようだ。そこにはソ連邦時代の物と思われるプレートもあった。(下図)

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 1933とあるが、これは1933年(昭和8年)にこの要塞が作られたと言うことなのだろうか?

 階段を下りると、一段低い所に出ると、そこに建てられていたで昼食となった。昼食はバーベキューとのことだった。
 やはりここでも、黒パンとじゃがいものスープが出てきた。その他の内容は下図の通り。

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 食事が終わった後、砲塔内に入れるというので、入って中を見ることにした。
 ガイドが砲塔後面の重厚な扉を開けて中に入ったので、それに付いていくと、砲塔内は裸電球が数個で照らされた薄暗いところだった。(下図)

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 ガイドは、この要塞砲に関する説明をしながら、砲の尾栓を開けて装填の過程を見せてくれた。(下図)

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 その説明によると、この要塞砲は4階建ての構造になっていて、1番下から2階が弾薬庫で、その上が揚弾装置の機械室となっているそうだった。今では全ての機械類が取り払われているので、下まで素通しになっていた。(下図)

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 下から弾頭と薬嚢が揚げられ、砲に装填されると、尾栓にライフル弾のような点火栓を詰めて、これを撃発することにより、砲は発射されるそうだ。
 この過程は、この砲が元々が艦船砲なので、映画「沈黙の戦艦」であったシーンを見ていただければ判ると思う。
 注意点として、撃発に使用した薬莢は取り出す際、すぐ下に手網を置いて受けることだと言っていた。そうしないと、もし下の弾薬庫に落としてしまうと、空薬莢が機械の間に挟み込んで故障の原因になるし、最悪の場合、火花が飛んで火災が起こることもあるとのことだった。

 ここで質問を受けるというので、この砲はまだ撃てるのか聞いてみた。そうすると、ソ連邦崩壊の祭、KGBの命令で、この要塞を廃棄する時に撃てないようにしたとのことだった。
 観光名所にするぐらいだから当然のことだが、ウラジオに迫り来る某紅い国の部隊に、付近に住む元軍人達が、この要塞砲を撃って撃退するというシナリオは成り立たないようだ。
 この他、この砲の口径はどのくらいかと言う質問も出たが、28センチとのことだった。

 砲塔から出ると、外に若い金髪の御婦人とロシア正教の僧服を着た数人の人がいた。オリガさんによると、この御婦人は沿海州政府知事の夫人で、フランス人だそうだった。
 ルースキー島の観光に来ているところ、偶然、この要塞跡で行き会わせたらしい。すぐ僧服の人たちと砲塔内に入っていったので、見たのはこの時だけだった。
 さすがに写真を撮るわけにはいかなかったので、画像が残っていないのが残念だ。


 要塞砲を見終わると、再びバスに乗り、帰りのフェリーに乗るため波止場へと向かった。しばらくバスに揺られていると、来たときとは違う波止場に着いた。
 すると、出港時間まで、まだ10分ぐらい余裕があるのにフェリーが出ようとしていたので、大慌てで乗り込んだ。

 船に乗る祭、船員が“ダバイ!ダバイ!”と言っていた。その時は何の意味か判らなかったが、後から調べてみると、どうやら急げと言う意味のようだ。
 辞書で引くと、ダバイの意味は「~しましょう」とあった。英語ならLet’sに相当する言葉だろう。ところが“ダバイダバイ”と連呼すると、急げ急げという意味になるらしい。
 このツアーに参加していたシベリア抑留経験のあるおじいちゃんも、収容所での作業中に監視兵から“ダバイダバイ”と言われていたとのことだった。このことからも、あまり上品な言葉ではないようだ。


 船に乗り込むと、まさに満員電車のような状態で、通路や甲板にまで人がぎゅうぎゅう詰めに乗っていた。
 船そのものは、若戸渡船のような小型の渡し船(下図)で、完全に定員オーバーだろう。

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 同じツアーの人も言っていたが、こんなに乗せたら絶対に救命胴衣が足りないので、日本なら違法行為のはずだ。しかし、ここはロシアで日本の法律や常識は通用しない。ウラジオ市内まで無事に着いてくれることを祈るしかないようだ。

 しかし、同じツアーの60代ぐらいのおばちゃん達は、こんな状況が判っていないようで、隣にいた同じぐらいの年代と思われるロシア人のおばちゃんを捕まえて、旅行代理店からもらったロシア語会話の手引きを見ながら、ズドラストビーチェと言って交流を図っていた。
 無邪気というか、たくましいというか、知らぬが仏とはこのことなのだろう。

 そうして、30分ぐらいの後、なんとかウラジオストック港に着いた。この日のルースキー島散策ルートは、下図の通り。

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 ①に上陸し、②、③と要塞跡を見て、④でウラジオに戻る船に乗った。細長い湾をバスでぐるっと廻ったわけだ。


 ウラジオストック市内に戻ると、再びバス(これはまともな物だ)に乗り、次の観光場所アレセニエフ郷土史博物館へと向かった。(下図)

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 博物館には駐車場がなく、見学終了後に再度合流ということで、私たちを降ろすとバスはどこかに行ってしまった。
 道路に面した、上の画像の入り口から入るのかと思ったら、この入り口は工事中で入れない、別の所から入ると説明があった。
 少し歩いて、歩行者天国の通りに面した入り口から入った。(下図)

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 博物館の中に入ると、誰だか判らないが、ウラジオの偉人だろうと思われる人物の胸像があった。(下図)

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 台座に名前が書いてあるが、ロシア語なので読めなかった。

 すぐに2階に上がっていくと、そこはウラジオの歴史に関する展示があった。
 ウラジオストックは、当時の清国との間で結ばれた、ネルチンスク、キャフタ、アイグンの各条約で、次々と極東地域の利権を手に入れたロシア帝国が、アロー号事件の解決を仲介した代償として、北京条約によりウスリー川以東の沿海州を手に入れた際に建築された。下図は、本物のアイグン条約の書類だと言っていた。

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 ウラジオストックの歴史は、ここから始まったという意味なのだろう。別の壁にはウラジオストックのあるムラヴィヨーフ・アムールスキー半島のレリーフがあった。(下図)

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 展示物に書かれている説明書きの文字が読めれば、もっとおもしろかったのだろうが、残念ながらロシア語のみだったので、ガイドの説明を聞くしかなかった。

 別の部屋には、昨日行った浦塩本願寺についての展示があった。(下図)

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 仏壇と当時の写真が数枚、これだけがこの地に日本の寺院あった証だ。

 別の部屋に行くと、シベリアの自然についての展示があった。(下図)

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 シベリア狼やアムール豹などの剥製が展示されていたが、これらの動物も乱獲と環境破壊のため、今では少なくなってしまったそうだ。

 この他、第二次世界大戦についての展示が大量にあった。展示には、戦況についてのものと、鹵獲した個人装備があった(下図)

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 上はベルリン攻防戦の様子について書いてあるようだが、ロシア語で書いてあったので、何と書いてあるのか判らなかった。
 当然と言えば当然のことだが、極東の戦況についての展示もあった。(下図)

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 上は満州および千島列島へのソ連軍の侵攻図だ。この一連の軍事行動後に行われたシベリア抑留は、重大な戦争犯罪行為だが、戦勝国にとっては誇らしげに博物館に展示することなのだろう。

 これらの展示の他に、いろいろと武器が飾ってあった。(下図)

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 映画などでおなじみの水冷式マキシム機関銃などの装備もあったが、機関銃を装備したオートバイ(サイドカーではない)のは、どうやって撃ったのだろう。

 これらの展示を見終わった後は、イグナットショッピングセンターに土産物漁りへ行った。(下図)

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 添乗員の話では、ウラジオストック空港の免税店は小さく、大した物は置いていないので、おみやげはここで買った方が良いとのことだった。
 一通り見たが、特にこれという物は無かったのため、食品売り場でのど飴を買っただけにした。(下図)

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 しかし、こののど飴は、袋の絵からクールミント味だと思ったが、やはりロシア製らしく、その味は大味でミントがきつく、日本の物と比べようがなかった。

 イグナット・ショッピングセンターでの買い物が終わると、一旦ホテルに戻り、荷物を置いてから、フォキナ通りを散策し、夕食にいくことになった。

 フォキナ通りは、その昔日本人街のあったところで、今でもその町並みは保存されているそうだ。(下図)

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 私は興味なかったが、ここでは、スマップの草なぎ剛主演の映画「ホテルビーナス」のロケも行われたそうで、ここにある建物も映画に出ていたとのことだった。(下図)

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 そうして散策を終え、バスに乗り、夕食会場のレストラン「ポルト・フランコ」へと向かった。(下図)

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 ここでは、夕食を食べながらロシアの歌と踊りのショーが見ることができる。この店で出された料理は下図の通り。

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 やはり、ここでもジャガイモのスープが出てきた。ロシアの主食だから当然だが、これだけジャガイモを食わされると、飽きてくる。

 食事の途中、ビッグママといった感じの歌い手が現れ、ロシアの歌を披露した。(下図)

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 歌が終わると、民族衣装を着た若い店員が出てきて、踊り始めた。(下図)

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 そうして、ビッグママの歌と若い店員の踊りが交互に続いた。そのうちビッグママは、私たちのツアー客と踊り始めた。(下図)

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 最後は、カチューシャを日本語で歌いながら、大勢で輪になって踊り、フィナーレとなった。(下図)

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 食事が終わると、バスでホテルに戻るはずだったが、店からあまり遠くない所で人気バンドのコンサートがあっているとのことで、車と人が至る所にあふれていたため、バスは店まで近づけないそうだった。
 一体、どんなバンドのコンサートなのか気になったが、ガイドのオリガさんも最近の音楽には疎いそうで、何のコンサートか判らなかった。

 ホテルまで遠くないので歩いて帰ろうかと思ったが、バスが少し離れたところで待っているそうなので、そこまで歩くことになった。

 街灯のない細い道を抜けて、大通りまで歩いた。とはいえ、コンサートの影響で、こんな道でも人通りは多く、ぶつからないように気を付けて歩かなければならなかった。

 そして5分ほど歩いて大通りに出ると、そこでバスが待っていた。バスに乗って数分でホテルに着いた。これならホテルまで歩いても、まったく問題がなかった。

 そうしてホテルに戻ってみると、この日もまた10時ぐらいになっていた。コンサートの影響か、街の小さなキオスクは開いていたが、どこも人集りがしていて、とても買い物ができる状態ではなかった。
 仕方がないので、この日もNHKのBSでニュースを見てから寝ることにした。こうして、あわただしいウラジオストック3日目が終わったのであった。

(続 く)

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Comments

 Ryofuさん、おはようございます・・・m(__)m

 久しぶりのウラジオ旅行記更新ですね。待ってました!

 山の中腹にある要塞砲のド派手な迷彩がもっと写真で見たかったですが、28糎三連装砲塔が丘の上にポツンと鎮座ましましているのは凄いですね。それにしてもソ連崩壊の時まで実際に撃てたわけですよね。こんな旧式砲に配置されていた砲員の方々はどう思っていたんでしょうねー。

 それでは、また続きを楽しみにしています。

Posted by: 山内 | November 27, 2005 at 09:34 AM

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